なんでこんなことしてるんだろう | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

気づけば私一人になっていた。

乳幼児向けのわらべうた遊び。

始めたころは、3~4人のグループでやっていたのだが、一人減り二人減り……ついには私一人になってしまった。

年齢的なこともあるにはあるんだが、なぜかやめ時を逃してしまったのだった。

 

高度経済成長期に専業主婦だった人たちが中心になって行なっていた読み聞かせやわらべうた遊びの活動。その人たちが50代60代くらいまではまだ活発に行なわれていた。時間もたっぷりあったし、なにより「子どもたちのために」という御旗が力強く振られていたからである。

子どもたちに良い本を与えましょう、子どもたちにかつて盛んに行なわれていたわらべうた遊びを伝承しましょう、そういう目標を立てて、無償のボランティアに励んでいた。「お金なんかが目的ではないのです」というのが彼女たちの強い自負だった。

朝、授業が始まる前の10分や、平日の午前中の30分、あるいは午後、学校が終わってからの30分、そういう中途半端な時間帯に中途半端な時間だけ動けるのは専業主婦だった人たちしかいなかった。素人だから、という謙虚な思いもあって、そういった活動は当然のように無償で行なわれた。たぶん、受け入れる学校や施設にとっても都合がよかったのだと思う。

とにかく「子どもたちのため」それが合い言葉だった。

Win-WInの関係が続いているうちはよかった。ボランティアをしている方にだって張り合いがあったし、学校や施設のほうだって「何かしている」感を持つことができた。別に目覚ましい成果がなくなってよかった(というか、そんな成果は出るはずもない)。やってることが大事だったのだから。

 

しかし、時代が変わって専業主婦が少なくなってきた。子育ても終わり、介護もしていないという隙間の人生にいる人たちの数が減ってきたのだ。

それに、「どうしてよその子のために時間を割いて本を読んでやらなくてはならないの?」という思いを持つ人が出てくるのは当然のことで、無償ならなおさらやる人は出てこない。物理的にも仕事を持っている人にはひねり出せない時間帯の活動ばかりで、どんどん読み聞かせをやろうという人が減っていった。

かつてメインで活動していた人たちも順当に歳を重ねていき、だんだん読み聞かせをするのがつらくなっていった。本が重たい(10分とはいえ、絵本を固定して持つのは案外大変だ)、字が見えない(老眼もあるし、そもそも非常に読みづらい印刷の絵本も多い)など、読み聞かせから引退する人が出てきた。当然下の世代の補充はない。

小学校での読み聞かせはまだかろうじて続いているが、問題はわらべうた遊びである。

 

この「わらべうた遊び」は、そもそもが「途絶えてしまったわらべうたの伝統をよみがえらせる」のが目的らしい。らしい、というのは、私が直接聞いたり学んだりしたわけではないからだ。いつの間にか時代の波に飲み込まれて消えていった「わらべうた遊び」。それをよみがえらせようとしている人たちがいる。「古き良き時代」というわけだ。子守歌なんかもこのジャンルに入っている。

でも、途絶えたのにはそれなりの訳があるので、復活させるには習うしかない。本来は子どもの遊びの中から自然発生していたわらべうたを、改めて大人が習うのである。習って改めて子どもに教える、という算段らしい。

私がこの活動に参加したころは、中心にいた人がとある研究所でお勉強してきてそれをみんなに教えるというシステムになっていた。お年を召した女性が数人集まってわらべうた遊びに興じている光景というのは、いささかシュールなものがある。

そうやって習ったわらべうた遊びを、幼稚園児や小学校低学年の子どもたちに教えるというのが初めの頃の活動だったのだが、いつの間にか子育て支援センターなどで乳児とその親に教えるという方向に変わった。せいぜい1~2歳くらいの子どもとその親が対象なのである。

これもまた、初めの頃はたくさんの親子が参加していたし、こちらにもメンバーがたくさんいたために、それなりに賑やかに楽しく活動できていたのだが、次第に参加する親子が減り、こちらのメンバーも減っていくことになった。理由は読み聞かせと似たようなものだ。

 

学校もそうなんだけど、こういう活動は時を経るにつれて、こちらとあちらの年齢差が開いていく。こっちはどんどん歳を取っていくが、向こうは年々入れ替わって常に同じくらいの歳の人ばかりである。このジェネレーションギャップは案外大きい。年を取って行く方は感覚が古いまま、固定観念の塊であるから、毎年目の前に現れる若い親子のありようについていけない。

「今の若いお母さんは」という定番の愚痴が増えていく。同時に、自分たちはどんどん年老いて、記憶も手先も衰えていく。

そうやって、みんなポロリポロリとやめていったのだった。

 

私もどこかのタイミングでやめればよかった。なのにやめられず今に至る。

気づくと代表のような立場にいたり、人から「やめるから後をお願いします」と言われる関係にいたりして、やめるタイミングを失ったのだった。

 

始めたころは、新しいことを覚えて、不特定多数の人たちの前で何かするということそのものが楽しかった。芝居をするときに、むやみにあがることがなくなったのは、たぶんこういう活動をしていたおかげだと思う。常に出たとこ勝負だし、即興でなんとかするしかない現場ばかりだったから、そこそこ度胸もついたのだろう。

芝居に役立つから、という思いだけで続けてきたようなところはあるのだ。

だって、振り返ってよくよく考えてみたら、私はそもそも子どもがそんなに好きなわけではないし、わらべうた遊びだって楽しいと思ってやっているわけではないのだ。

要望があったから、できるから、ただそれだけで続けている。そりゃ確かに目の前で笑ってる赤ちゃんたちは可愛いけれど、だからといってそれが何になるわけでもない。

以前一緒にやっていた人はよく、「見ているだけで元気がもらえるから」と言っていたけれども、あれはどこまで本気だったんだろうなあと思う。嘘ではないんだろうけど。

私が自分から学びにいって、自ら「わらべうたの復興」を願っているというなら話は別だけど、全然そういうわけではない。今私がやってるのは本当にたまたまなのだ。やめそこなっただけ。

つまり、系統立てて学んだということもなく、特別な資格があるわけでもない私は、実に都合良く使われる存在なのである。謝礼の必要もなく、いらなくなったらやめてもらえばいい、という非常に都合の良い存在。くどいようだが、私自身はそもそもこういう在り方を望んでいたわけではないのだ。

ほんと、何をやってるんだろうなあと思う。最近つくづく思う。

妙な義務感で続けてきたけど、別になくなっても誰も困りはしないのだ。それに気づいてようやく今年度から活動を減らすことにした。ゆくゆくは全部やめようと思っている。