今日初めて知ったんだが、Googleマップってクチコミ評価がついてるんだな。
そういえばなんか星マークがついてるなあとは思っていたが、あれがそうだったのか。
いくつついてるかとか全く気にしたことがなかったが、世の中の人の多くがあの星の数を見て利用するかどうかを決めているらしい。
飲食店を選ぶにもそういう機能を使うらしい。私は使ったことがないのでわからないのだが、そういえば小説の中にもそういう描写が出てくるものがあった。
都会はお店が多いから、そうやって探すのかなあと軽く読み流していたのだが。
そもそも私はネットのクチコミを信じていない。
そりゃ多少は参考にしなくもないけど、それでも常に眉に唾をつけて読む。
評価が低ければ、まずはいったん「ほほー、そうなのか」と受け止めてから、「でもここまで書く、ここまで言うというのはどういう心理なのだろうか」と疑う。
逆もまたしかり。高い評価の場合は「ほほー、よかったね」と思うが、同時に「でもそれってあなたの感想ですよね」と思う。
巷間非常に嫌われたこの言い方であるが、一面の真理は含んでいると思うのだ。というか、使い場所さえ間違えなければかなり有用な作戦である。
どうしたってクチコミは個人の感想の域を出ない。常にn=1なのである。
自分にとってどうだったか、自分がどう思ったか。それでしかない。
ネットがなかったころは、リアルな人間関係の中でぼんやりと広がっていったであろう「評判」というやつが、誰でも書き込める「ネット評価」という方法によってはっきりと可視化されるようになった。
なんでもそうだが、最初の頃はそれなりに機能していたのだと思う。
それまで現実世界でしか耳に出来なかった「評判」が簡単に手に入るのだから、そりゃあ助かると思った人も多かろう。
しかし次第に悪用する人が出てくる。これもまあよくある話だ。人間の業と言ってもいい。
わざと悪く書く。あるいは嘘で褒める。
そういうことをしていけばいくほど評価の信憑性は落ちていくと思うのだが、後からネットの世界に入ってくる人は簡単にそれを信じてしまう。
今話題になっているのは病院の評価らしい。
病院の評判って、確かにいろいろあるよ。地元にいれば「あの病院ってどう?」「うーん、あんまりいい先生じゃないよ」あるいは「とても親切でいい先生だよ」という話を実際に聞くことはできる。でもそれだって結局は自分が行ってみないとわからないのだ。
ある人にとっては「いい先生」だとしても、自分にとってもそうなのかどうかはわからない。
それが怖いから事前にネット評価を見るのだというのだろうが、それが正確だという保証はどこにもないのだ。
「転職の王様」という小説の中に、なんでもネットの評価で決めるという人物が出てくる。その人がいうのは「たくさんの人がこう言ってるんだから正しいんですよ」ということだった。
まあ、そうなんだけどさー。でも時には「衆愚」といって、みんなが間違ってることだってあるんだよ。さらには、「みんな」にとっては正しくても自分にとって「正しい」かどうかはわからないってこともあるのだ。
今はほんとに、誰でもネット上で自分の意見を表明できるようになった。
それはいいことだとは思うんだけど、同時にものすごい悪意だったり、ものすごい愚かさだったりも表に出てくるようになったのだ。
黙っていればばれなかった無知や愚かさや偏りが、白日の下にさらされる。
恐ろしいことだ。
過渡期なのかもしれないけどね。これから人類はもうちょっと学んでいけるかもしれない。
わかんないけど。
とりあえず、選択制夫婦別姓制度や共同親権に関しては、びっくりするような「ご意見」を堂々と披露してる人がけっこういる。可視化されたのはある意味いいことではあるけれども、同時に暗澹たる気分にもなる。
とはいえ、私だってこうやってらちもないことを書き散らしているのだから、人のことは言えないけどね。