命の期限 | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

鳥山明さんの訃報に続き、声優のTARAKOさんの訃報が飛び込んできた。

みんな逝ってしまう。生き物の定めとはいえ、無常を感じる。

 

去年の今頃は、10日後に迫った「MUSES エフェメラル」の稽古に余念がなかった。

通常公演は2時間ほどの長編なのであるが、このときは短編の三本立てであった。

そのうちの1本の脚本と演出を担当した。

タイトルは「春の夜の夢のごとし」

公演のテーマが「エフェメラル」(はかないもの)であったので、遠い学生時代の思い出を振り返るという内容の芝居を作った。

自分なりの縛りとしては、「劇中でタイトルに言及しない」を心がけた。一回だけ近いことは言うんだけど。

タイトルを劇中で言及するかどうかはわりと悩むところである。できればまったく言わずに観客に伝えたいところではあるが、それもまた難しい。どこまでほのめかすかに苦心した。

公演後の感想を聞くと、それなりに伝わったものがあったようでなによりだったが。

 

そして、この公演のころからきなくさい空気は生まれていた。

アマチュア劇団の弱点として、拠点となる劇場を持てないということがある。自分たち専用の劇場(と稽古場)を持てるのはかなり恵まれたことなのである。

当然、稽古場や公演会場を探してさまようことになる。身近な劇団はたいてい「よく使う公共施設」があって、劇団ごとに生息する公共施設が違う。しかし、そこは公共施設なので、絶対にいつも使えるとは限らない。ホールの使用はかなりの激戦で、抽選に敗れるととたんに困ってしまう。芝居に使える劇場そのものがほぼないのだ。

このときは試験的に早期予約できるシステムが稼働していたため、かなり早い段階でホールを押さえることができていた。あとは脚本を書いてもらい稽古するだけだ、と去年の今頃は思っていたのだ。

 

しかし、事はそう簡単には運ばなかった。夏を過ぎても脚本はできあがらず、稽古はなかなか進まなかった。焦った私(や他の団員)が催促したところ、主宰の逆鱗に触れてしまった。

脚本料もとらずに書いているのに催促するとは失礼だ、と言われたのである。

結果的にそのことが原因で私は役を降り、劇団も去ることにしたのだが、あれはかなりモヤモヤとしたものが残ったものである。今はまあ、やめてすっきりした、と思っているけれども。

 

去年のうちに決まっていたことではあるが、今年は1月からずっと、ほぼ切れ目なく芝居の公演がある。やりたい、やってみたいという思いのまま決めてしまったため、現実が見えてきた今ちょっとびびっている。大丈夫か。いや、でも、やるんだ。もう今しかないとすら思う。

 

いつ終わりが来るかわからない。まさか、と思う人がどんどんいなくなっていく。

自分の体だって、いつまで思い通りに動くかわからない。気持ちがいつまで続くかもわからない。

なんとなく気が進まないこと、義理があるなあと思うこと、義務感に駆られてしまいそうなことはもうやめていくことに決めた。

芝居を始めたころは、なんでも勉強、なんでも経験だと思っていろんなところに首を突っ込んだ。やったことないことでも、面白そうだな、勉強になりそうだなと思ったらやってみた。

生涯勉強だとは思うけど、そろそろ取捨選択してもいいのかもしれない。

「楽しい」という感情はいまだによくわからないけど、芝居の稽古をしているときだけは余計なことを考えずに没頭できるのだから、たぶん楽しいのだと思う。そういう自分の感情を優先しても、そろそろ許されるんじゃないかと思う。(許されなくてもやっちゃうけどねw)

 

芝居って、今日言って明日できる、というようなものではないので、どうしてもスパンが長くなる。半年後の話や1年後の話はざらにある。だからついつい予定を入れてしまうんだよなあ。声をかけてくれたことそのものが嬉しくて。

それでも、そろそろ先を見据えて行動していかなくちゃいかんな、と、有名人の訃報をきっかけに考えた春の日。