メメント・モリ | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

広い意味での演劇仲間が亡くなったらしい。

ちらっとグループラインで訃報がまわってきた。

「広い意味で」と書いたのは、その亡くなった人との接点がほぼなかったから。

ここ1年ほどでようやく認知してもらえたかな、くらいの関わりしかなかった。私が一方的に知ってただけ。

それでも、顔を合わせれば挨拶するくらいにはなってたから、全然知らない人というわけでもない。

 

去年の暮れに、立て続けに知り合いが亡くなった。

まだ幼い子どもだったり、長年連れ添った配偶者だったりと年齢はバラバラだった。

これもまた、関わりという点では薄く、わざわざお葬式に出向くのもどうかと悩むくらいの関係性であった。

 

こういうとき、とても困る。

「亡くなった」という事実は確かに重く、衝撃的ではある。それはある意味一般的な感情である。多少でも面識があったり、存在を知っていたりすればなおさら衝撃である。

でも、と思う。私にはそれを「悲しむ資格」はないのだ。

痛ましいとか、お気の毒だという気持ちはあるけれども、それは心の中にじわっと湧いてくる感情であり、外に向けて発信するほどの強さを持たない。

その不在を嘆き悲しむほどの関係はなかった、ということなのだ。うっすら「哀しいねえ」とは思うんだけども。

 

新聞の訃報欄を毎日見る。80代、90代で亡くなる人はむしろ、天寿を全うされてよかったのではないかと思う。たまに、60代、50代の方の訃報を見かけると、他人事ではないなと思うし、それより若い人の訃報はもう痛ましさしかない。

もちろん、亡くなった人がすべて新聞の訃報欄を利用するわけではないので、そこに載らない方もたくさんいる。というか、そっちのほうが多いかもしれない。

そう考えると、毎日どこかで誰かが死んでいるんだなあと思う。

 

「人はいつか死ぬ」というのは、ただの理屈であり情報に過ぎない。確かにそうなんだけど、それをどれくらい己の身に引きつけて考えられるかといえば、もうほんと形而上的想念でしかない。ふわっと「そうなんだよなー」と思っているだけだから、現実に知っている人の死を突きつけられると混乱する。

かつて身内が突然亡くなった時もただただ混乱した。義理の身内だったこともあって、私がどこまで悲しんでいいのかがわからなかった。悲しむほどの思い出もなかったから。

その伝でいけば、私は自分の父が死んだ時に果たして悲しめるだろうかという疑問は常に消えない。あれこれ思い出して泣くほどの思い出もないのだ。

 

時々エンディングノートのことを考える。以前はあまりにも漠然としすぎていて書くことができなかったのだが、そろそろ書き始めてもいいのかもしれない。

そして、少しずつ物を処分し始めたほうがいいのかもしれない。小道具製作のためと言ってためこんだ廃材たちを、先を見据えて処分していかなくては。

もうしばらくは演劇に関わると思うんだけど、それもいつまでできるかわからないし。

どこかで見切りをつけないといけないんだろうな。

「自分」という存在がある時点から存在しなくなること。それが私の思う「死」である。

想像しようとしても、なかなか難しいものなんだな。でもどっかで、電源を切ったテレビのようにプツンと消えていくのだろうと思っている。それもまたよしである。