「褒める」と「叱る」 | 10月の蝉

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今日もまたTwitterから連想した話。

 

演劇関連のツイートで、「褒められたら警戒しろ」というような内容のツイートが流れていった。

「自分の演技を褒めちぎられたらそこで成長が止まる。だから褒められるのはよろしくない。仲間内で褒め合ってたら向上しないのだから、時には本気で叱るべき」

こんな内容だった。

 

子育て界隈でもよく話題になるけど、「褒める」ってけっこう誤解されてるんじゃないかと思う。

「子どもは褒めて育てましょう」って言われると、「それでは子どもが調子に乗ってしまう」とか「打たれ弱い子になる」という反論が来る。

褒められた子どもが調子に乗る、とは具体的にどういう状況だろうか。

学校の成績がよかった、とか、発表会で活躍した、とか、ぱっと思いつく「褒められ」の場面。

つまり、何かプラスのことがあったときに褒めようとするのではないか。

で、テストがんばったね、とか通知表の数字がよかったねとか、学芸会よくできたね、って褒めたら子どもが嬉しくなっちゃって、「そうだ、私はすごい」と思ってその後は努力しなくなる……みたいな感じを想定しているのかなあ。

日常的に子どもをけなしている人に「もうちょっと褒めてあげたら」と言うとたいてい、「褒めるところなんかないし、仮に褒めたとしたら調子に乗ってしまうからよくない」と言われる。

 

「褒める」って別におだてたりお世辞を言うことじゃない。

まあ、そもそも「褒める」という行為は「評価する」ということだから、ちょっと自分が上の立場に立って見ているということも意味する。

たとえば私が、一流の演劇人の芝居を観て「あの人はうまいわね」と評価したら、どの立場に立ってその評価を下しているの?ということになろう。

あー、評価と褒めは違うか。ちょっと混乱してきた。

 

たとえば。

劇団などの仲間内で、仲間の演技が「いいな」と思ったとしよう。そういうときどうするか。

私は「褒める」というより、単に自分が「いいな」と思ったよという事実を伝えようと思う。

前はこうだったが今は違ってきて、大変効果的だと思った、という主観的事実。

本心から思ってないのに、別の意図を持って毎回べた褒めするのは確かにまずい。この「本心から思ってない」ってところが重要なんじゃないか。

他人に対して「すごい」と思ったり「いいな」と思うことはあると思うのだ。自分がいろいろ頑張ってやっていたら。それを伝えることがどうしていけないんだろうね。

 

演出という立場で考えてみたときも。

あそこがダメだ、ここがダメだ、と否定するのは実は簡単なのだ。誰だっていつも100%完璧にこなせるわけじゃないのだから。批判(という体の悪口)は本当に簡単。いくらだってあら探しはできる。基本的に「こいつはダメだ」と思っていればアラしか目に付かない。

そういうのは「叱る」に当たらないんじゃないか。

欠点を指摘するのは非常に難しいことで、かなりの技術が必要になる。だって相手に受け入れてもらわなくてはならないのだから。

「悪いところは叱ってやらなくちゃいけない」というが、その「悪いところ」の判断基準は何か?どういうふうに「叱って」どういうふうに変えたいのか、その明確なビジョンはあるのか。なぜ自分が叱ろうと思うのか、叱る権利があると思うのか。

そういったことをちゃんと自問して、覚悟する必要がある。

 

「褒められたら警戒しろ。真に受けるな」という教えは、一面では正しいけれども、別の一面では正しくない。相手がその言葉を言おうとしたこと、言ったということ、そのこと自体は素直に受け取るべきだ。(たとえ相手が反語として言っていたとしてもね)

よかったよ、うまくなったね、感動したよ。そういう言葉はそのまま受け止めればいい。

なにも「なんで褒めるんだ? 陥れようとしてるんじゃないか?」なんて警戒する必要はない。

自分の技量は自分で上げていくしかないのだから、褒められた段階で満足しなければいい。

や、満足して努力をやめてしまう人が多いからこういう言い方が生まれるのだろうが。

 

調子に乗って何が悪い、とも思う。人間、ちょっとくらい調子に乗ってないと生きていけないよ。「調子に乗るといけないから」と他人を制御しようとするのはただの嫉妬だと思う。

 

褒められるのに慣れてなくて、ダメだしされたほうが安心する、という人もいる。

その気持ちもすごくわかる。自分はダメだと思っていた方が安心なんだよね。

でも、だからといってダメ出しすると不機嫌になったりする人もいる。誰もダメだししてくれない、叱ってくれない、と言う人は、そういうことを言いにくい雰囲気出してるんじゃないかしら。

 

褒めるにしろ、叱るにしろ、それをする自分の人間性とか技量が問われる行為だから。

ちゃんと覚悟してやらないといけないよね。