精神的負荷 | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

Twitterで見かけたこの文章を見てはっとした。

「人に頼むという行動は訓練しないとできない。精神的負荷が高くて人に頼めず、自分でやる、になってしまう」

 

私もこの「精神的負荷」ってやつが高くて、人に頼んだり、頼まれ事を断ったりすることに大変な抵抗を感じてしまう。

頼むくらいなら自分でやってしまおう、断るくらいなら引き受けてしまおう。そういう判断が後に自分を苦しめ、結果的に他人にも迷惑をかけてしまう。

「やるっていったじゃん」「引き受けるっていったじゃん」と責められるような事態を引き起こしてしまい、

それに対して「うん、そうだよな。引き受けたのは自分なんだよな、だから責任を取らなくてはいけないのだよな」と思って苦しくなる。なぜなら、そこまで行くともう「できない」状態になっているから。

 

心の中にちょっとでも、「億劫だな」とか「あまり合わない感じがあるな」とか「できないかもしれない」という気持ちがあると、やがてそれが大きな障害となって出現する。ことが多い。

しないときだってあって、あまり気が進まずにやり始めたけど、やってみたら案外楽しくて充実感も得られて、「やってよかったな」と思うことも稀にある。

でも、たいていは、「しまった」と後悔することになるのだ。

自分の気持ちから目をそらして、うやむやのまま「いい顔」(NOと言わないってこと)をしてしまう。

そのつじつま合わせのような心理で、その後かなり懸命に取り組もうと努力はするんだけど。

何か問題が発生したときに、踏ん張る根っこがない。

だから、最終的に全部放り出して逃げ出すようなことをしていまうのだ。

 

きちんと、冷静に、NOと言えるようになりたい。

言動と人格を切り離して、穏やかに人と関われるようになりたい。

 

私が勝手にNOと言うことを恐れているだけなのかもしれない。

NOと言ったからといって、全部否定しているわけではないのに。

というか、私が他の人から何かの頼み事についてNOと言われても、それでその人を全面否定したりはしないのに。なぜか同じ事を自分がしたら、全面否定ととられてしまうんじゃないかという恐れがある。

 

今、人と話すことがとても怖くなっている。

こんなこと言ってもいいのか、そもそも私が自分の気持ちや感情を表出させていいのか。

大丈夫だよと言ってくれる人や味方になってくれる人もいるから、大丈夫なんだと一生懸命自分に言い聞かせている。

発言してもなんか怒られるし、発言しなかったらしなかったで、「しない」ということを責められる。

相手の思い通りの言動をしないと許されない、と感じる状況に陥っていて

 

 

 

やっぱりこれ、やばいよな。

今はまだ自分を守らないといけない状況なので、がんばる。