旅と食 | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

たまたまTwitterで目についた話。

「旅行に行くときは、同行者の食に対する価値観をすりあわせていかないと大変なことになる」

せっかく旅行にいくのだからその土地の名物を食べたい派。

vs

食べるものはなんでもいい、全国チェーンの店でもよし、時間もできればあんまりかけたくない派。

 

2大価値観としてはこういう感じかな。

要するに、食に対する比重が高いか低いかってことだ。

 

比重の低いやつなんているのか?と思う人のほうが、もしかしたら多数派かもしれない。

だから旅番組って食べてるシーンばっかりなんだよね。

 

私は比重が低い派。

「知らないところで、知らない店に入って、何か食べる」ということが非常に億劫なのである。

怖い、っていう気持ちもあるかなあ。

そもそも、「外で何か食べる」という事に対しての億劫感がある。人と一緒ならそれを理由にして食べることもできるのだが、一人だとまず食べないという道を選んでしまう。

「自宅で一人」なら、食べることに抵抗はないのだが、外で食べるのは本当に気が重い。

なんでだろうってずっと考えてるんだけど、これといった説明は思いつかない。

他人が一緒ならごまかせる、と思ってるあたりに何か答えがありそうな気はするけど。

そういう私が愛好するのは、というかほっとするのは、全国チェーンの店。どこにあっても「同じ」というのがとても安心する。アイラブガスト。アイラブサイゼリヤ。アイラブマクドナルド。である。

食を重要視する派からはとてもあきれられてしまうんだけどね。知らない店に一人で入るのは非常にハードルが高いのだよ。しかもそこで「食事」をしなくてはならないのだから。

 

その点で行くと、先月出石地方へ行ったときに、出石箱蕎麦の店に一人で入って箱蕎麦を食べたというのは、近年稀にみる快挙であった。

その店がけっこう大型店で、いかにも観光客相手という雰囲気を醸していた、という理由はあったにせよ、だ。

そういうことができるようになったのかなあ、とちょっと誇らしい気持ちもあったりした。

 

まあでもたいていは、ガストを見つけて入るか、マックに入るか、それもない場合は何も食べずにいる。緊張してるんだろう、たいていはさほど空腹感を感じないのだ。

 

だから、旅行に行くとしたら相手を選ぶだろうなあ、と思う。

まあ、そもそも「誰かと一緒に旅行に行きたい」とは思わないんだけれども。

せいぜい息子の受験につきあう程度だな。それも今年で終わりだし。

夫とは旅行には行かない。そういうことがあんまり好きではない人だし(笑)

私も自分が思ってるほど旅行が好きではないんだな、と最近わかってきた。

行ったら行ったで楽しもうとはするけどね。

相手がいれば食事はできるので、相手から提案されたら店にも入る。絶対お店では食べたくない、というわけではないのだ。どっちでもいい、って感じだな。

 

おなかは空くから何かは食べるんだけど、どうも最近は自分が食べるものに関心が持てない。

あれを食べたいとかこれを食べたいとか思わなくなってきたのだ。

体にいっぱい備蓄してるからね。別に食べなくてもいいんだよ、と思ってる。

 

てなことを考えた。