オンライン | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

最近ようやくzoomを使った会議に慣れてきた。

慣れたといっても、かろうじて操作ができるようになった、というくらいだが。

画面に自分の顔が映っていることにもだいぶ慣れた。落ち着かない気分になるのは変わらないけど。

 

会議という使い方ならいいかな、という感覚も生まれてきた。

会議なら、話すことは決まっているし、順番に話すし、話すことがないときは黙っていられる。

でも、そうじゃない使い方のときはちょっとしんどいなと思う。

今までどこかに集まってわいわいやっていたようなことは、やっぱりzoomでは厳しい。

同時発話が難しいということと、場の雰囲気が生まれないというのがその理由。

なんとなくおしゃべりする、という使い方は、私には無理だなあということがわかってきた。

 

学校のオンライン授業っていうのも、なかなか難しいものがあるらしい。

とりあえず、準備する先生が大変だよなと思う。だって今までそういう形式での授業はやったことがないんだから、何をどうすればいいのか、手探りだと思う。通信環境だってまだまだ整備されてないし。

 

コロナ禍で、一気にオンラインという使い方が広まったけれども、やっぱりできることとできないことがあるんだな。

 

私は「演劇の今後」なんていう大それた事を考える立場ではないんだが、それでも時々「これからの演劇はどうなっていくんだろう」と思うことがある。

生の舞台と映像は違うんだよ、というのがこれまでの考え方だったけど、オンライン演劇という道もこの先生まれてきたりするんだろうか。

主に若い世代が、いろんな方法を探り出し、作りだしてきている。きっといろいろ変わっていくんだろうなあ。

新しいやり方は、新しいというだけですぐにはなじまないところがある。

「ああいうやり方は認められない」と思う人もいるし。

いろんなやり方が生まれ、いろんな意見が出て、ゴタゴタしながら進んでいくのかな。

 

素朴に、「台本があって、複数の人が関わってきて、舞台に立ってお客さんの前で一つの世界をつくりあげる」という形の演劇、芝居が好きなんだけど、そういう形式は特殊なものになっていくのかもしれない。あるいは、一周回って元通りになるのかもしれない。

先が見えないのが人の世の常とはいえ、こんなに先が見えない状況になるとは。

もしかしたら大きな変換点に立っているのかもしれないね。