いっそ天候のせいにしてしまいたいが、どうにも心がざわついて落ち着かない。
落ち着かない要因はいろいろ思い当たるが、冷静に考えてみれば差し迫った危険はない。
ないはずだ。
それなのに、足下から、天空から、そくそくと忍び寄ってくるこのどす黒い不安のかたまりはいったいなんなんだ。
折しも今朝の占いでは、「予定変更などがあって落ち着かないが冷静に対処しよう」てなことを言っており、そうだ冷静になろうと深呼吸を繰り返してみるものの、すぐに呼吸が浅くなる。
胸式になってるのがわかるんだなー。浅くてせわしない。だからよけいに焦る。
○時に出かけなければいけないという予定が入っている時などは特にそうなる。
強迫観念なのだろうか、その時刻にひどくとらわれてしまう。
遅れたら取り返しのつかない悪いことが起こりそうな、そんな気がしてそわそわする。
これもまた、落ち着いてよく考えてみれば、そこまで悪いことにはならないだろうとも思えるのだが、他人が関わる行事や、乗り物の時間などは、自分一人の事では済まないと思うともうだめだ。
非難されたり糾弾されたり叱責されたりするのが、とてつもなく怖い。人生終わった、とすら思う。
でももちろん、完璧な人間ではないのでしょっちゅう間違えたり失敗したりする。そのたびに何かが削られていく。私が鰹節だったらもうだいぶ小さくなってんじゃなかろうか。
年を取ってだいぶ図太くなったと思っているが、それでもまだ、いろんなことが怖い。
道義的に、道徳的に非難してくる人がいると、「生きててすみません」と思う。
ただそのときの「道義的」や「道徳的」の基準が、私とは違ってることが多い気がする。私自身は決して反社会的なことをしようとか、不道徳なことをしようと意図しているわけではないのに、相手の物差しから外れてしまうことが多いらしく、そういう人に限ってものすごい勢いで責めてくるのだ。
責められると自動的に「私が悪い」という思考回路に切り替わるので、ああ、また間違えた、また悪いことをしてしまった、また許されないことをしてしまったと自分を責めることになる。同時に、「え、でも私は間違ってなくない?」という気持ちも心の隅に存在しているので、そこの葛藤で苦しくなる。
自分を許すのは難しい。というか、「許さない」と思うほうが楽なんだな。そうやって自分を責めている限りはそれ以上他人から責められなくて済むと思ってしまうから。それが「自虐の甘い罠」なのだ。
最近よく、「覚悟を決めよう」とか「腹をくくるぜ」と自分に言い聞かせているのは、この甘い罠からなんとか抜け出さなくてはいけないと思っているから。
がんばらないとなー、と思うそばから、空を灰色の雲が覆ってまた私を不安にさせる。