夫婦別姓と男女平等 | 10月の蝉

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子どものころ、結婚というのは女性が男性側の苗字になることだ、と思っていた。世間的にもそういう認識が普通だったし、(実は法律が変わっていたにも関わらず)「入籍する」という概念だった。

 

高校だったか大学だったかで法律を学んだとき、実は苗字はどちらの苗字を選んでもいいのだ、ということを初めて知った。どちらかの苗字を名乗りなさい、と法律では決まっていたんだね。

「どちらか」である。決して男性側の苗字にしなさい、ではない。

にもかかわらず、なんだかみんな当たり前のように「女の方の苗字が変わるのが当然だ」と思いこんでいた。

大雑把な言い方をしてしまうと、昔は女はただの道具扱いだった。

昔話でもしょっちゅう出てくる。お殿様だの長者だのが何らかの試練を課して、その褒美として「娘を嫁にくれてやる」というのだ。主人公の若者は知恵を絞り、あの手この手で試練を突破して、ご褒美として娘を嫁にもらう。そこに出てくる娘の意志なんてかけらも留意されていない。なんならむしろ喜んでるくらいの描写だったりする。

ずっとそんな扱いをしてきたのだ。苗字くらいどうだっていいだろうと思うのも無理はないかもしれない。

当の女性たちだってそう思いこまされていた。

父親の庇護のもとから夫の庇護のもとへ水平移動するだけの社会だったら、問題は顕在化しなかっただろう。

でも、社会が進んで、男女ともに(一応)平等に教育を受けられるようになると、同じように働く人も増えてきた。やがて、「自分の名前(生まれたときの姓名)」で仕事をする人も増えてきた。

そういう社会になったら、「私は今まで使ってきた姓名のままで生きていたい」と思う人が出てくるのも当然じゃないだろうか。

だって、男性側はどっちにしろ「改姓する」という選択肢はほとんど視野に入れてないんだから。

 

つまり、現在の日本における「強制的同姓制度」の実態は、単に「女性側が改姓して男性側の苗字を名乗らなくてはいけない」ということなのである。

その実態を見てみぬふりをして、「法律上はどちらの姓も選べるのだから問題ない」として同姓制度を主張するっていうのはさすがに無理がないか。

確かに条文ではどちらかの姓を選べとなっているけど、現実には男性側が改姓する例が極端に少ない。

男性側が改姓するとたいていの場合「婿養子に入った」という言い方をされる。誰の養子になったっていうんだよ、といつも思う。もちろん法的にきちんと養子縁組をしたというなら話は別だが、たいていの場合はよく聞いてみると、単に妻の方の苗字に改姓したというだけの話だったりする。

どっちかの姓に合わせろっていう法律なんだから、どっちに合わせたっていいじゃないかと思うんだけど、なぜか、そう、なぜか、男性側に統一されがちなのである。

 

そもそも、改姓の手続きというのは非常に手間のかかるめんどくさい作業である。社会生活が長ければ長いほど、元の姓名で活動していた分野が増えるのだから当然のことである。

そうやって、一つずつ、結婚前の自分の名前を消して変えていく作業を、「嬉しいこと」と思える人ばかりではない。嬉しい人もいれば悔しい人もいる。だから別姓でも法的保護を与えられるように制度を変えようという話なんだが。

 

なぜこんな簡単な変更が受け入れられないのか、理解に苦しむ。

まあ、うっすらはわかっているけども。

同姓論者の人は今現在、別姓でいる人たちを差別し攻撃している。別姓だと家族の絆ができないとか、家族が崩壊するとか子どもがいじめられる、とか、そういう攻撃をしている。(国際結婚など、実際に別姓の夫婦は存在しているのだ)

自分たちがそういうふうに差別し攻撃してしまうもんだから、逆の立場、つまり選択制夫婦別姓制度ができたら、今度は自分たちが別姓を強制されると思ってる。ああ、つまり、同姓を強制しているという自覚はあるんだな(笑)

 

ネットのどこかで見かけた意見で、「夫婦別姓と男女平等は別問題だ」というのがあった。

何がどう別問題なのか私にはわからない。むしろ、夫婦別姓とは、完全に男女平等に関する一側面じゃないのかと思うんだけど。

今の時点では、大多数の女性が改姓するる。ごく一部の男性も改姓する。そして、改姓した側が多大な損失や手間を被っている。文句を言うと「愛情がないのか」と感情論にすり替えられてしまうが、だったら改姓しない(それを念頭に置きもしない)男性は常に愛情がないということになるんじゃないのか。

別姓だと結婚してるかどうかわからなくなる、という意見も、今だって男性は苗字だけでは未婚か既婚か判断できませんけど、というしかない。

 

夫婦同姓が日本の家族の伝統だというなら、せめて改姓する男女の比率が半々になってから言ってくれ、と思う。結婚する男性の半分が、結婚する女性の半分が、それぞれ相手の姓に変えるという実態が生まれてから、同姓が伝統だと言ってもらいたい。

「夫婦同姓は日本の家族の伝統です(キリッ」という人が男性で、なおかつ改姓してない人なのだとしたら、説得力がゼロではないかしら。それってね、要するに根っこのところに「女が男の都合に合わせるのが当然だろ」という見下した意識が横たわっているからだよ。

だから、女性が別姓制度を主張すると「わがまま」という言葉で非難しようとするのだ。

なんだよ、わがままって。

 

変えたい人も変えたくない人も、等しく法の元で庇護されましょう、っていう、ただそれだけのことなんだがな。

ついでに、結婚相手は異性に限定する必要もないと思う。しょせんは人間が考え出したルールなんだから、人間が幸せになるように変えていけばいいのだ。

夫婦で子どもを産み育てるという目的に限定してしまったら、そこから零れ落ちる人がたくさん出てしまうよ。

子どもは産める人が生んで、育てられる人が育てればいいのだ。

血がつながっていることは確かに重大なことではあるが、人間って理性やら知性やらを持っているのが自慢の生き物じゃないのかね。だったら、その理性や知性を活用して、血のつながりだけではない、「子どもの養育」について考えてもいいんじゃなかろうか。

 

これは私の偏見なんだけど、夫婦は同姓じゃなきゃいけないとか、母性神話とか、家族の絆云々って言ってるのが高齢男性だったりすると、どうしても「あなたは直接かかわらなくていいから、好き勝手言えて良いご身分だわねえ」と思ってしまうな。女性がこれを言ってると、「ああそうやって、男性社会で媚びを売らないと生きてこれなかったんだよね」と思う。

 

こういうことも、若い世代に期待したいところである。

少しずつ変わっていってほしいなあと思う。