ストッパーを外したくなるとき | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

点滴のチューブにストッパーがついてまして、そのストッパーが止めているのは毒薬。

ストッパーを外すと毒薬が流れて、死んでしまうのであります。

昨日観た芝居の、「安楽死の方法」がこれでした。(ネタバレですけど、明日で終わりなので許してください)

たぶんこの芝居は、「こんなふうに簡単に安楽死させられてしまっていいのか?」という反語文だったと思うんですよ。そして「いや、よくない」という答えを想定していたと思うんですが、私にはその答えは出せませんでした。むしろ、「こんなに簡単に安楽死できるならぜひお願いしたいものだ」と思ってしまいました。疲れてるんだよ……。

 

息子がパソコンを欲しがったので、買いに行きました。

いずれは購入しなくちゃいけないなあとは思っていたので、それはいいんですけども。

 

改めて思いましたが、パソコンって高いんですよね。正当な価格だとは思いますが、やっぱり高い。

その金額にちょっと心が折れそうになりました。

また、パソコンはとても便利な道具なのですが、取り扱いがとても難しい。かつめんどくさい。

私が今使っているパソコンもそろそろ買い替えないとまずいのですが、買い替えにともなう諸作業を思い浮かべるだけですでにぐったり、うんざりしてしまうんですね。

なんでかなあ。道具にすぎないのに。めちゃくちゃ振り回されてますわ。

「わからないこと、わからない部分が多い」というのも一因だと思っています。

もうね、わかんないことが多すぎる。そして、一つ失敗したら大変なことになるかもしれないという恐怖が常に付きまとっているわけですよ。

 

2台目なので、プロバイダ契約とかもなく、本体だけを持ち帰りました。

そして、息子はさっさと初期設定やら、メールアドレスの設定やら、セキュリティソフトのインストールやらを済ませてしまいました。なんでそんなに簡単に終わるん? びっくりしました。

これがデジタルネイティブの強さってことなんでしょうか。

なんにせよ、さくっと終わらせたことは素晴らしいことだと思いました。おかげでちょっと憂鬱な気分が減った気がします。

 

何かしら引きとめるものがあるから、ぶつくさ言いながらも日々を過ごしているわけです。

それがなくなったら。

別に無理して生き続けなくてもいいなあと、いつも思います。

そりゃ、生きていれば何かしらいいことにも出会えるかもしれません。でも、そのために生き続けるほど、生きるっていいことだとは思えないんですよ。

ストッパー外すくらいでさくっと終わらせられたらどんなにいいか。

あの芝居がほんとならいいのにな、と思ったくらいでした。