クオリティ・オブ・ライフ、とは | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

『あの頃。』、観てきました。

観る前は、「あの頃は楽しかったよなあ……」とただ過去を懐かしんでいる話かと思ってたんですが、全然違いました。

確かに、「あのころは楽しかったな」という感慨は出てくるんですけど、すぐにそれにかぶせて「でも今の方がもっと楽しい」っていうのが来るんですよ。

そこに圧倒されてしまいました。

うらやましいなあとも思いました。あんなふうな仲間に出会えたらさぞや楽しいだろうなと。

メインストリームでもないし、万人の共感を得られるようなものでもなさそうな感じの趣味。

でも、思いっきりそこに没入できるって、すごく幸せなことだと思います。

自分を振り返ってみると、あれ?そういうものがないぞ、と。

自分一人でハマったものはありますが、ほかの人とそれを共有したことがないなあということに気づいてしまいました。

そういう目で見てみると、意外と寂しい人生だったのかも。

 

夜は、ユニークポイントのお芝居(のプレビュー)を観てきました。

明日とあさってが本番なので、ここでネタバレするのはまずいかな。

テーマは「安楽死」でした。

これ、たぶん、「うわー、怖いな」とか「安楽死なんてとんでもないことだよ」という反応をするのがふつうなのかもしれないんですが、私はむしろ「ぜひお願いしたいものだ」と思いました。

 

生きてる意味とか価値ってなんなんでしょうね。

劇中で「あなたにとって生きるとはどういうこと?」と問われる人が出てくるんですけど、その人の答えが実にしょぼくて(笑) 

それと、「安楽死してしまいたい」と思うほどの苦痛、苦悩が釣り合うと思ってんだか、なんて思ってしまいました。

作者は、今の世の中にある不条理を描こうとしているらしいのですが(パンフレットにそのようなことが書いてありました)、この世の中に不条理じゃないものがあるんだろうか、というのが最近の気持ちです。

 

テレビ番組で、政治家のおじいさんが「国民はみな天皇の子どもだ」とか「夫婦になるということは身も心も一体化することなんだから、女が苗字を変えるのは当然のことだ」というようなことを言ったそうで、Twitterでも大変にぎわっておりました。

「家族は自我の延長」なんていう恐ろしいことを平然と言う人たちもいるそうで、これが不条理じゃなくてなんだっていうんでしょうね。自分と他人の区別もつかないような人たちが権力を握っているなんて、恐ろしすぎる。

もう私は十分生きたので楽に眠れるならそっちのほうがありがたいという気持ちが、年々大きくなっています。ストッパーを外すだけでさよならできるなら、それに越したことはないですよ。

 

懐かしめるような「あの頃」もなくて、「今がいちばん楽しい」とも言えないんだな、と、今日はつくづく思い知らされたのでした。

それにしても、仲野太賀くんはすごい役者ですわ。