子どもの進路 | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

息子は今年中学3年なので、受験のことを考えなくてはならない。

学校で先生の話を聞いてきた。

私の時はこんなふうだっただろうか。

先生は息子に、自分の成績についてどう思っているか、今後どのようにしていくつもりか、というようなことを聞く。息子はまじめくさってそれに答えていく。

私は自分の成績について、勉強態度について、自分の言葉で答えるなんてことはしなかった。

今出ている数字がすべてで、先生がそれを見て受験できる学校をあげていく。

進学して何がしたいかではなく、今のこの点数で、この内申で、どのランクの学校が受験できるかということしか語られなかった。

進学して何をしたいのか、どんな学校へ行きたいのか。そんなことはあのころ誰も問題にしていなかった。点数がすべて。だから高校の体験入学なんていうシステムもなかった。

 

今はだいぶ様子が違う。

各学校はそれぞれ、自分のところの特色をアピールし、子どもたちは自分の希望を明確にして学校を選ぶ。もちろん成績が基準になることは変わらないのだが。

少子化の影響なのかなあ。

大学のオープンキャンパスという方式に驚いていたのに、それが高校までおりてきているのだ。

 

学校の先生がいうことはいつの時代にも変わらないのだなあと改めて思った。

滑り止めの私立受験。公立高校の単願は認めてもらえない。

だから、行くつもりもない私立も受験しなくてはならず、そのための準備もしなくてはならないのだ。

もし公立受験に失敗したらそこへ行くことになるのだから、きちんと下調べするように、と先生はいう。

自分の時もそうだったし、娘の時もそうだったのだが、どうにも納得できない感じがしてならない。

物事には100%絶対ということはないのだから、確かに万が一ということは考えなくてはいけないのだろうが……。

 

自分が受験の当事者であったときにはまだ幼すぎて状況がよくわかっておらず、少しはわかってきたころ(つまり親になったとき)には当事者にはなれない。

受験するのはあくまでも子どもであり、その先に続いているのは子どもの人生である。

過去の経験や前例などからの予測は語ることができても、未来を語ることはできない。

その人生を歩いていくのは子ども自身であり、私ではないのである。そのもどかしさたるや。

はらはらしながら、時には諦めながら、見守っていくしかないのだろうなあ。

まったくもってしんどいことであるよ。