いろいろ大変だよねって話 | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

ツイッター眺めてたら「フードハラスメント」という言葉が流れてきた。

食べられないもの、食べられないほどの大量の食べ物を「食べろ」と強要すること。断ると激怒される。

こうやって書くと「なんてひどいことだ」と思うんだけど、実際にはそう簡単に判断できない状況が多い。

 

例えば親が子どもに対してたくさんの食べ物、料理を用意する。もちろん「たくさん食べてほしい」という善意、親心からだ。

それを子どもが心から望んでいるならまだしも、少食の人だったり、嫌いな食べ物だったりすると、この行為は子どもにとって恐怖となる。断るという選択肢はない。だって親は「善意」でやってるつもりだし、なんなら「親の義務」くらいに思ってる。

だから、断られると自分を否定されたような気持ちになってものすごく怒る。

他にも、外食などで食べられないほどの量を注文しておいて、案の定食べきれなかったときに「もったいないから」と食べることを他人に強要する。この場合も食べないと激怒される。

 

一連の、あるいは関連のツイートを読んでて、わかる、と思い、これ自分もけっこうやっちゃってるなとひやっとした。

 

私は料理があんまり好きじゃない。食事の用意をする、というのが好きじゃないのだ。

でも一応主婦という立場にあるし、母親という立場にあるので、家族の分の食事の用意をしなくちゃいけない。手作りだろうが出来合いの総菜だろうが、とにかく用意しなくちゃいけない。

そういう義務感でやってるせいか、用意したものを食べてもらえないとものすごく腹が立つ。

夫は黙って食べてくれる人だから問題は表面化しないが、息子はまだ子供なので、食べるときと食べないときの波が激しい。食べないときはほんとに食べない。目の前に用意されていても食べない。

それを見ると私はどうしようもなく苛立ってしまい、つい、「早く食べなさい」と言ってしまう。

 

フードハラスメント、やらかしちゃってんなあ、と深く反省した。

食べるか食べないかは本人の問題なのだから、用意だけしたらあとは放っておけばいいのに。

なんかそれができないんだよなあ。それはつまり、もともと好きでやってることではなく、義務感からいやいややっているので、「私がこんなに無理して用意してやってんのに、なぜその好意に応えないのだ?」と思ってしまうからなんだろう。

 

だいたい、「私が食事の用意をしなくちゃならない」と思いこんでるから、こんな被害者意識が生まれてしまうんだよな。文字にしてみたらそういう気がしてきた。

専業主婦だから、母だから「しなくちゃいけない」と思ってる。なんなら、それをしないなら存在価値がない、くらいに思ってる。だからやってんのに、どうしてそれに応えないのだ、と思っちゃうんだよなあ。

 

こういうのやめたい。そんなふうに思ってイライラするのをやめたい、と切に思う。

でも私の記憶の中にこんな言葉があるのだ。

「食事は済ませ事だからさっさと済ませるものだよ」

これ、私の母が昔言った言葉なのだ。私の母も専業主婦で、毎日ごはんを作ってくれていたけど、食事を楽しむという雰囲気はなかった。とにかく出されたものをさっさと食べて「済ませる」という感覚。

当然それには、その後の片付けという作業もくっついている。さっさと食べてさっさと食器を洗って片づける。そこまでが一連の流れだという認識である。

だから私の中にも、「食事」という行為にはその後の片付けまでがワンセットでくっついているという感覚がある。

平たく言えば、「さっさと食べてよ。洗い物ができないじゃないの」ということだ。

だから、「作りました→食べました→片づけました」という流れがスムーズにいかないとストレスがたまってしまうのである。

洗い物をそのまま放置する、ということができない。きれい好きとかそういうことではなくて、ただ単にその状態に耐えられない、というだけのことである。

 

「もったいないから食べちゃって」も実はけっこう言ってしまう。食べ物を捨てたり、残したりすることができないからだ。

「もったいない」って悪魔のような言葉だと思う。

節約や倹約という方面では美徳のように言われてるんだけど、微妙だなあと思ってしまう。

適度に「もったいない精神」が発揮できればいいんだけど、たいてい行きすぎてしまう。

 

姑は食べ物の適量があまりよくわからない人で、夫の実家へ行って食事をすることになるといつも、大量の食べ物を用意してくれる。「足りないと嫌だから」というのがその理由なんだけど、毎回必ず食べ残しが出る。そっちの方がもったいないと思うんだけど、でも「足りないと困るから」という。

食事をつかさどる立場の者として、食事をする人たちに食べ足りない思いをさせることは恥だ、という感覚があるんだろうなあ。その気持ちももちろんわかるんだけど。

 

結局のところ、「食べること」というのは非常に個人的な行為なのだ。だって食物を体内に取り入れるのはその人個人の問題なのだから、どのくらい食べるか、どの程度の速さで食べるか、何を食べて何を食べないかはその人が決めることなのだ。

たくさん食べるのがいい、とか、なんでも好き嫌いしないで食べるとか、時間内で食べるのがいいとか、ゆっくり食べるのがいい、とか、そういうのは外から強制されることではないのだ。

(だから学校給食で食べることを強制されるというのはフードハラスメントだと思う)

 

子どもが体調を崩していつも通りに食事できないという状態が続くと、なんとなくイライラしてきてしまう。

体調を心配する、ということの他に、上記のような「流れ」が阻害されることに対するストレスがあるのではないか。

そんなことを考えていたら、もういろいろ大変だよなあ、と思ってしまったという話。