23年 | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

あれからもう23年も経つのか。

長いようなあっという間のような、でもやっぱり長い時間が過ぎたんだなと思う。

 

1995年という年は私にとって激動の一年だった。

最初の衝撃が17日の震災で、テレビの画面を見て凍り付いた。

いったいなんだこれは、と。それしか思うことができなかった。

私が好きだった人の故郷だったから、ほんの少しだけど寄付もした。雀の涙にもならないくらいの寄付だったけど、何かせずにはいられなくて。

それでも直接かかわりがあったわけじゃないから、そのことについて言及することはできないでいた。今でもできない。ただ追悼の意をひっそりと持つだけ。

 

震災のあと、大きな事件が起きて世の中が大騒ぎになった。

この事件は間接的に私の生活にも影響を及ぼした。

その年の4月から私の生活が激変し、年末にはすべてが変わってしまうことになった。

 

あれから23年。

もうそんなに経ったのか、という思いと、まだそれだけなのか、という思いが交錯する。

 

今日は久しぶりの雨。

空気が湿るのはありがたいのだが、いかんせん量が多すぎる。

警報、注意報が出るほども降らなくてもいいのにと思う。

なんか最近極端だよね。

雨が降ると不安が増幅される。

インフルエンザが猛威を振るっているという情報も不安をかきたてる。

希望の光はあまりにも弱弱しくて、すぐに見失いそうになる。

大丈夫なのか、ほんとにやっていけるのか。

ぼとぼとと大きな音を立てて落ちてくる雨の粒が私の不安をあおる。

不安の渦に飲み込まれてしまいそうだ……。