明けたね | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

知らないうちに明けてました。まあそうだとは思ったけど。

なんか今年の梅雨は、梅雨らしくなかったなあ。降るときと降らないときの差が激しい。

でもなんとなく空気が乾いたような気もする。今日の風はそこはかとなく涼しかった。いや暑いんですけど。

 

幼稚園の卒園式の写真と、小学校の卒業アルバムが出てきた、と母から電話があった。

体調がよくなったので家の片づけをしていたら出てきたのだ、という。

度重なる引越しで、私が子どものころのものはいつの間にかなくなってしまっていたのだが、いったいどこにしまいこんでいたんだろう。

とりあえず送ってもらうことにして、しばらく母と話をしていた。

 

片付けをしていたのは、いわゆる「終活」というやつらしい。

その流れでお墓の話になった。

うちの両親は今の家を買ったときに墓を建てるための土地も入手した。

やや複雑な話で、その町内の住人だけが権利を持つという「町内墓」というものらしい。

土地だけ買って(あるいは借地契約的な?)墓は建てていないらしい。

当初は、これで墓の心配はなくなったと喜んでいたのだが、最近になってその土地の返却を要求されているらしい。つまり、墓を建ててない(=誰も死んでない)ために土地が遊んでしまっているからだ。

他に墓を必要としている人がたくさんいるので、使う予定がないなら返してくれ、ということらしい。

そんな話があるのか、と思うのだが、まあ、あるんだろうな。

問題は、その墓は町内の住人でないと使えないということだ。ということは、私はもちろんのこと、同じ市内でも別の町内に住んでいる弟も使えないということになる。父と母の二人だけしか入れない墓。

それじゃあしょうがない、というのが母の言い分なのだった。

墓を建てるとなればけっこうなお金もかかるし、それなら別のところの方がいいと言いだした。

近くに永代供養してくれるお寺や、マンションのようにたくさんのお骨を収納して供養してくれるようなところがあるので、そっちにしようかというわけだ。

こういうことは元気なうちにはっきり話をしておかないとね、と笑いながら言っていた。

うん、確かに。機会があったらちゃんと聞いておかないとね。

 

さらには、アイバンクや献体の話も出た。

私はアイバンクに登録しているので、母にも勧めておいた。

献体は私も考えたことがあった。せめて何かの役に立つなら存在してた意味もあるかなと思ったから。

その後献体についてのいろいろな話(希望が殺到して供給過剰な状態になってるとかそういう話)を聞いたのでそれっきりになっているのだが。

母はけっこう乗り気な感じだった。まあ、一時の気まぐれかもしれないけどね。

 

電話を切ってから、なんだかおかしかった。こういう話をなごやかに笑いながらできるっていうことが。

うちの母は情緒的な人ではないからこういうことができるのかもしれない。

事務的で、やるべきことはやらなくちゃいけないからと割り切れる人。

それがしんどいときもあるけど、特にこういう取り扱いの難しい話題に関してはかえって気が楽だ。

縁起でもない、なんて言わない人だから。

 

あの日野原先生も亡くなった。中学で読み聞かせに使った「いのちの授業」の絵本は日野原先生が95歳のときのもので、そこから10年も活躍されたんだなあと思うとびっくりする。

うちの両親はあとどれくらい生きてるかな。なにもなければ10年くらいは生きてるでしょ、とは本人の弁。

じゃあ私もそれくらいはがんばって生きてないといけないな。せめて親より後に逝かないと。

 

いつの間にか梅雨が明けて、短い夏が始まる。

体感的にはもうとっくに夏だったんだけど、これで名実ともに夏。

今年の夏はどんな夏になるんだろう。