わかるような、わからないような | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

素朴な疑問なんだけども。

 

どうして「読み聞かせ」ってボランティアなのかしらね。

 

まあ、「仕事」にはならないことなんだろうとは思うんだけど。

 

なんかね。

大事なことだ、大切なことだ、と言いながら、でもどこかしら、「特にやらなくてもいいこと」とか、「さほど重要なことではない」ような扱いをされているように思えてならない。

それこそ、やりたい人がいて、そういう人が勝手にやってる、それを利用しているだけだって思われてる気がしてならない。

別に、本の読み聞かせなんて、あってもなくてもどっちでもいい、という位置づけなんじゃないかなあと思うときがある。

一応、建前としては、「大切なことですよ」っていうふうにはしているけれども。

 

学校で読み聞かせをやってる、というと、「すごいねえ」「えらいねえ」という反応が返ってくることがある。そこには、「そんなお気楽で、やってもやらなくてもいいようなことをしているなんて、いいご身分だね」という感じがそこはかとなくこめられている。

「本読むの嫌いだから」とか「忙しくてそんな暇はないから」と言うんだけど、それはつまりは、「別に本なんて読まなくたっていい」とか「金を稼げる仕事の方が価値がある」っていう考えがあるってことなんじゃないのかしら。

 

現在、私はあちこちで読み聞かせやら、わらべうたのボランティア活動をしているんだけれども、たまに、「これが仕事だったらなあ」と思うことがある。

はっきりいえば、「これで稼げたらいいのに」ということ。

無理なのはわかってんだけど。

 

なんで、子どもたちへの読み聞かせって、ボランティアでしかないんだろうなあ……。