久々の読書 | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

ここのところ、アウトプットな活動ばかりが続き、本から離れていました。
一応、気になる本は買っておいてあったんですが、時間的余裕も精神的余裕もなくて積読状態でした。

昔は、買ってくるなり、即座に読みふけり、5冊買ってきたのにその日のうちに全部読んでしまった、なんていう、欠食児童のような読み方をしていたものでした。
積読なんて信じられませんでしたよ。

それがいつの間にか、2冊、3冊と、未読の本がたまるようになってきて、そのことにちょっとショックを受けていました。
この私が積読してしまうなんて、と。

で、とりあえず一段落ついた今日、ようやく買ったまま置いてあった本を手に取りました。

1冊目は「読めない遺言」(深山亮)という作品。
新人作家のデビュー作だそうで、帯に、「面白い小説の要素が全部つまってる!」なんて書いてあったので、ちょっと読んでみようかなと思ったのでした。

ミステリーというジャンルは好きなんですけど、なにしろ自分で謎を解こうという気がないので、謎が小出しにされている作品はちょっと苦手なのです。
なんだろうな、このあたりは、どういったらいいのかわかりませんが、「えー、これはこの先どうなるの? なんでこうなるわけ?」という疑問が、いい感じで解決されつつ先へ進む作品だととても快適に読み進められるんですね。
ところが、その謎の答えがあまりにも先へ引っ張られると、その「見えない状態」がストレスになってしまって、読むのが苦痛になってしまうことがあります。
せっかちっていうのもあるかもしれません。
これは、時間を置いてもう一度読んだ方がいい作品だなと思いました(当社比)。


もう1冊は、「蒼い月 死神と朝食を」(渡辺容子)
これはねえ。個人的にちょっと失敗しました。すでに単行本を持っていて、読んだことがあったんです。それなのに、タイトルが変わっていたので気づかず、さらには、半分くらい読むまでそのことに気づきませんでした。
文庫化するときにタイトルを変えるのは困るなあと思います。
ま、自分がちゃんと覚えてればいいんですけども。
内容は、ロマンチックミステリーということでしたが、こういうのをロマンチックっていうんですかね。ちょっと主人公に共感できなかったので、残念でした。
私は八木しょう子(「しょう」の字がわかんないや)の方が好きです。


ちょっと頭がまだ戻ってないみたいで、まとまってものを考えられていません。