お静かに | 10月の蝉

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図書館って利用する? ブログネタ:図書館って利用する? 参加中

私はしない派!

本文はここから




「私は本を読むのが好きだ」と自覚したのは、小学4年か5年くらい。
それ以来、ずっと本は私の友達だった。
特に、大学に入るために家を出てから、本がいっそう身近なものになった。
ちなみに、実家から寮へ持ってきた本は、そのほとんどがSFだった。特に小松左京と星新一。
高校時代はSFにハマっていた。

そんなに本が好きだったわりには、図書館とは縁がなかった。
図書委員もやったことなかったなあ。
小学校も中学校も、図書室がどこにあったのかさえ記憶にない。

高校の時は、図書室はもっぱら勉強のための場所だった。
というか、「図書室=勉強部屋」だった。
あんなにたくさんの本が置いてあったのに、なぜか私の目には「読むもの」として見えていなかった。

身近に図書館がなかったせいなのかなあ。
今は、親はよく図書館で本を借りているようだが、私が子供の頃は図書館になんていってなかったような気がする。

だから、未だに私には、図書館に置いてある本は、自分が手にとって読むものだという気がしない。
近寄ったり、触ったりしてはいけない、なんか神聖なもの?
私なんかが手を触れてはいけないものなのだ、という感じがする。


お金がなかったときに、それでも本が読みたくて図書館を利用しようと思った。
図書館へ出向き、貸し出しカードを作った。
そうして、本を借りたんだけど、とにかく制約が多くて、やっぱり恐れ多いものなんだなと思った。
自分の物じゃない、誰かわからないけど、不特定多数の人と共有するべきもの。
表紙を開けば、見慣れた中身ではあったのだが、カバーが外されていたり、ビニールコートされていたり、よそよそしい判子(○○図書館所蔵、とか、受付○月○日NO ○○○○、とか)が押してあって、それはもう、私の知っている「本」じゃないみたいだった。

それに、返却期限というのがあって、必ずその日までには返さないといけない。
世の中にはそういうことに無頓着でいられる人もいて、借りっぱなしでも平気だったりするらしいが、私は小心者だったから、そういう規則に反することは怖くてできなかった。

「借りてきた本」というのは、結局私の生活に馴染めないまま、元の家(図書館)へ帰っていってしまう。後になってふと、もう一度読みたいなと思っても、もう私の手元にはない。
図書館に行ってみても、誰かが借りていたりしたら、もう会えない。
そんなあやふやでもろいつながりでは、心もとなくて不安なのだ。

図書館はその性質上、静寂を要求される。
私だって、人の声でうるさい図書館はいやだ。
本屋で子どもが叫んでいたり、おじさんがでかい声で電話してたり、おばさんたちがふだんの音量で遠慮無くおしゃべりしてたりしたって、むっとする。
お店ですらそうなんだから、本を読んだり選んだりする場所である図書館がうるさいのはありえない。

だけど、まさにそれゆえに、私は図書館が怖い。怖いというと語弊があるか、なんか腰が引ける。気が重い。ビクビクしてしまう。
図書館の人が、何かあったらすぐさま注意しようと身構えているようで、何をしても、いや何もしなくてもそこにいるだけで、怒られてしまうような気がしてしまう。

最近読み聞かせを始めてから、図書館へ行くことが増えた。
開架スペースには近寄らないが、小部屋でおはなし会をやったりしてる。
そのたびに、足音を忍ばせて、なるべく早くここから脱出しなければ、と思ってしまう。

子どもたちには、「図書室でいっぱい本を借りてね」なんて言ってるけど、私自身は極力借りないようにしてる。借りただけでもうそわそわしてしまって、返却してしまうまで落ち着かない。
よそのお子さんを預かっているような気持ちになるのだ。

そう、まさに「よそのお子さん」なんだな、図書館の本って。
嫌いじゃないんだけど、やっぱり責任が重すぎて気が重くなる。

うちで、私の身近にいる本たちは、みんな私が本屋で買ってきたもの。
そうやって所有していると、すごく安心する。いつでも、読みたい時に読みたい本を読み返せる。その安心感。
私は本を買うときは、必ず再読するだろう、と思える本を選ぶようにしてる。
実際には2回くらいしか読み返してない本もあるけど、そういうのは何年かすると古本屋へ引っ越しする。手元に残るのは再読の可能性が高い本ばかり。

いつ、どの本を読み返したくなるか自分でもわからないからなー。
借りた本だと、そういうときすぐ手に取れなくて地団駄踏んでしまう。


単なるイメージの問題なのかもしれないが、私にとって図書館とは、「読みたい本がすぐに手に入らない。いるだけでなにかしらの注意を要求される。あるいは何かするとすぐに注意される」そういう怖い場所なのである。
私は別に、本を破ったり落書きしたり、大声を出したり、騒々しく歩きまわったりなんかしない。絶対本に危害を加えたりはしないのだ。
にも関わらず、書架の本に手を伸ばした瞬間、どこからか警戒の視線が飛んできて監視されているような気持ちになる。

これはあれだな、美術館へ行った時に、絵を見ているあいだじゅう、そこに座っているお姉さんに監視されてる感じに似てる。

私ってそんなにいかがわしいんだろうか。危ない感じなんだろうか。悪いことをしそうに見えるのかなあ。

そんなふうに思わされるのもまた、哀しいことではある。

有川浩さんの「図書館戦争」シリーズを読んだときは、こんな図書館があったらいいなあと思った。残念ながら私が知ってる図書館の人は、無愛想な人か、警戒してる人か、やる気のない人がほとんどなんだよなあ。
「本なんか借りちゃってすみません。お仕事増やしてすみません」という気持ちになる。

だから図書館には足が向かないんだと思う。








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