純粋な時間 | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

昨日から、本格的に芝居の稽古が始まった。

昨日は、出演者が全員いたわけではないので、揃ってる場面を抜き出して軽く動きをつけてやってみた。
私は、代役でちょっと読んだ。

演出の人もまだ迷ってたり、決めてなかったりすることが多いので、「とりあえずやってみて」が多い。そうやって、いろいろ試して作り上げていくんだな。

演目は、野田秀樹の「Right Eye」
本来は3人で演じた芝居なので、場面転換があいまいである。
今そこで、「野田」を演じてた野田秀樹がそのまま「N」に変わったりする。
そこにいるままで、違う人、違う場面を演じるという、いかにも演劇的な作りになっているのだ。
今回は出演者がもうちょっと多いので、いくつか役を振った。
そしたら、それはそれで、「じゃあ、今この人はどこにいるのか?」とか「どこから出てくることにするのか?」なんてことを決めなくちゃいけなくなる。
考えることは山ほどあるのだ。


芝居の全体像を決めるのは演出家なので、これからどんな形になっていくのかとても楽しみ。
「野田」役や「吹越」役の人は出番も多いし、セリフも膨大なので、大変だなあと思う。
演じる力があれば、それもまた楽しみになっていくのかな。
そこまでいくと、たぶん、芝居の魔力にがっちりつかまれてしまうことになるんだろうなあと、傍から見ていて思う。
私みたいに、端っこの方にいる者ですら、短い出番の間にその魔力の一端に触れてしまうのだからね。
どうやら、私はカンボジア語をしゃべることになりそうだ。

カンボジア語!
自分の人生の中で、そんな言葉をしゃべることになるなんて、誰が予想しただろう。
私の役は「少年」で、彼はそんなに長くはしゃべらないのだが、その場面で一緒に出ている人はとんでもない長台詞がある。今からみんなに、期待の目で見られてる(笑)

昨夜は2時間半の稽古だったんだけど、あっという間に時間が過ぎていった。
帰り道、頭のなかがとても透明に澄み切ってる気がした。
あの場にいたとき、私は芝居のことしか考えてなかった。
あんなにきっぱり、なにか一つのことだけ考えていられる時間は久しぶりで、ああ、そうだ、芝居に関わるとこういう気持ちになるんだっけ、と思いだした。
これから先は、悩んだり、落ち込んだり、やけになったり、袋小路に迷い込んだりするんだろうけど、でも稽古場にいるときの、あの純粋な時間は、なにものにも代えがたいと思ってしまう。

やっぱり好きなんだなあ、と苦笑い。
できるできないでいったら「できない」方だし、見てくれや技量も全然ない。だから行き詰まって苦しむんだけど、それでも、「この場面はどう表現するか」とか「このセリフはどういう気持ちで言ってるんだろうか」とか、そういうことを考えるのが楽しくてたまらない。

昨日の昼間は天気のせいで不安に苛まれていたけど、芝居の稽古に行ったらそれがどっか行っちゃった感じがする。あくまで「感じ」なので、すぐに戻ってきちゃうんだけど(笑)
でも、芝居があってよかったな、と思う。