こんなこともあるんだな | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

ちょっとびっくりしたことがあって。

今日シナリオ教室で発表した課題は「背信」。
私は、小さな劇団の物語を書いた。
希望に燃えた劇団の座長がいて、でも彼はあることで心が折れてしまい、劇団を放り出してしまう。おまけに演劇そのものをやめる、と言い出す。
座長を信じて、彼と一緒に夢を見ようと思っていた主人公はあっさり裏切られてしまうのだ。

発表後、先生からはその座長の心変わりに、何かもっと別の理由を考えた方がいいのではないかというアドバイスをもらった。
そのときは、なるほど、と思ったのだが。


夜になって、自分の書いた話とそっくりな事実を知った。
理由はわからないけど、突然芝居をやめる、と言い出した人がいるんだそうだ。
そのとき、やっぱり理由なんかなくても、「やめる」と言われただけで裏切られたような気持ちになるぞ、と思ったのだ。


この驚きは私にしかわからないかもしれないけど。
全然そんな事実を知らずに書いた話だったのに、あまりにも酷似していたからなあ。
なんか、いろんな意味で衝撃を受けてしまった。


20枚シナリオを20本ほど書いてきて、だんだん自分の書くものの傾向がわかってきた気がする。
気がつくと、芝居とかダンスとか、そういうものを素材にして書いている。
今までにいろいろと、そういう場を見てきたからかもしれない。
同じ教室にいるSさんという人は、日常生活を描くのがうまい。
とても緻密に、きっちりと、「何気ない日常生活」を描いているのだ。
とても謙虚な人なので「そういうものしか書けないのよ」なんて謙遜してるけど、何気ない日常生活を破綻なく描くのは意外と難しい。
得手不得手、得意分野、みたいなことって、こういうところから始まるのかもしれないなあ。


アマチュアで芝居をやってると、辞めていく人にたくさん出会う。
いろんな理由でやめていくんだけど、そしてそれはしかたのないことなんだけど、どうすることもできないんだけど、やっぱりそのたびに一抹の寂しさを感じる。
すれ違ったくらいの関わりの人でも、やめると聞くと、残念だと思う。
私がシナリオで書いたような信頼関係のある人がそんなことになったら、すごくショックだと思うんだよな。それは、小さな出来事かもしれないけど、確かに「背信行為」だと思う。



もうひとつ、不思議な符合。
私がもらった役の中にこんなセリフがある。
「感動なんてものは、下衆な好奇心がダンボール被ってできてんだ」
今まで、「感動」と「下衆な好奇心」がうまく結びつかなかったんだけど。
打ち上げからの帰り道、車を走らせていたら事故現場の横を通った。
まだ事故が起きてから間もなかったらしく、救急車が止まっていて、車の陰にちらっと青いストレッチャーが見えた。
どきっとした。
まだあそこに怪我人がいるんだ。そう思った。
その瞬間、ふと首を伸ばして覗きこもうとしている自分がいた。

その瞬間、あのセリフが実感を持って胸に落ちてきた。
「感動なんてものは下衆な好奇心が段ボール被ってできてんだ」

そういうことか。
ものすごく腑に落ちた。
そういうことなんだな。


こういうことってあるんだね。

しかし、こういう側面もある。
今朝の占いで「予想外のハプニングに出会うかも。そのときは思い込みで行動しないように」って言われた。
私はなにか、思い込みで行動しなかっただろうか。


不思議な符合、シンクロニシティ、すごいじゃん、なんて思わないほうがいいのかもね(笑)