ゆきあいの空 | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

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これは昨日の空の様子。

「ゆきあいの空」の「ゆきあい」とは隣り合う季節が行き会うことを意味し、特に夏から秋にかけての時期を指すことが多いそうです。
昨日の空はまさに「ゆきあいの空」で、夏の入道雲と秋の筋雲がこんにちはしておりました。

むかーし、立原えりかさんの童話塾をやっていたとき、「音を聞いて物語を作る」という課題で一つ物語を作りました。
シャラシャラと薄い金属が触れ合うような音だったんですが、それが私には「ひっそりと訪れた秋の気配」に感じられて、「とある湖のほとりで、一仕事終えて休んでいる夏の妖精と、交代のために訪れた秋の妖精が行き会う」というお話を作ったんですね。
あのころは「ゆきあいの空」という言葉も概念も知りませんでしたが、やはりこの季節には、そうやって季節の主役が交代する様子が強く感じられます。

私は夏がいちばん好きな季節なのですが、その中でも特に晩夏が好きです。
ひと夏がんばって暑さを提供してきた夏の精が、ふっと一息ついている感じ。
少しくたびれて、少しけだるく、少し物憂げな感じ。
ユーミンの「晩夏~ひとりの季節」は稀代の名曲だと私は思っています。

まあ、今年の夏はそんな私の勝手な思い込みを激しく覆してくれるような、シッチャカメッチャカな夏でしたけどね(笑)
それでもこの時期になると、上空ではのどかな交代劇が行われているようで、晴天の日にはこんな心騒ぐ空を見ることができます。


今日はすでに灰色の雲が一面に広がっていて、時折雲の隙間から光が落ちてきますが、これからの天気の崩れを予想させています。

私は今までの人生で、まともに何かの責任を背負うようなことをしてこなかったのだな、と最近改めて思うようになりました。
会社勤めもしたことがなくて、自分が責任持ってことに当たる、という経験もしたことがなかったのです。
常に、誰かの補助、ちょっとしたお手伝いの感覚のことばかりだった気がします。
結婚して妻となったり母となったりして、それなりに家庭内では権限も発生しましたが、それでも家庭内のことは家庭内のことに過ぎません。子育ての責任者であると言ったって、その結果が出るのは数十年も先のことだし。

それが、今年、それも最近になって、立て続けに、自分で責任を持って発言やら行動やらしなくてはいけなくなる状況に直面するようになりました。
そんな器ではないとか、そんな力量もない、と引っ込んでばかりもいられなくなった感じがするんです。今ごろかよ、と自分でも思うんですが、まあ、そういう時期が来たってことなんでしょうか。
もう一度、心をいれかえ、気持ちを入れ替え、覚悟をしっかり決めて、物事に対処していかなくてはならないんだな、と、「ゆきあいの空」を見て思った次第です。