他人の夢 | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

「夢」を持つのはいいことだ、と一般的には思われています。
いろんな歌やドラマや、昨日見た映画でも、「夢を持ち続けてがんばること」はプラスの意味で使われています。

でもねー。
ほんとにそうなのかな、と思うこともありまして。
「夢は魔物」なんじゃないかと思ったりもするんですよ。

寝てる時に見る方じゃない「夢」、それは、希望であり、目標でもあります。
こうなりたい、こうしたい、と願う気持ち。
それって、根本的には極めて個人的な欲望ですよね。
「自分が」こうなりたい、こうしたい、と願う。

「イン・ザ・ヒーロー」を見てて、ふと「ああ、またこのパターンだ」と思ったところがありました。
それは、ハリウッド映画への出演が決まった本城が、元妻のところへ報告に行くシーン。
スローモーションで、本城が通りを走り抜けていきます。徐々に表情が喜びに満ちていくので、見ている方も一緒になって気持ちが盛り上がります。(それにしてもちょっと長かった気が……)
元妻のいる薬局に飛び込み、「やった!やった!」と大はしゃぎする本城と、最初は一緒になって元妻も喜んでいます。「やったじゃない!よかったわね!」と。
しかし、本城がそのオファーの内容を話すと、元妻の表情が一転するんですね。
そのオファーの内容があまりに危険なものだったから。
「ばかじゃないの!」と吐き捨てるようにいう元妻。

こういうシーンってけっこうよくありますよね。
バカな(と周囲からは思われがちな)夢を持った男がいて、その男を支えてきた女がいて。
バカな夢が叶いそうになるとき、女はたいてい引き止めるんです。「危ないからやめて」と。
あるいは、「あなたは夢ばっかり追ってる。もうついていけない」と去ってしまう。

こういうシーンを見るといつも私は思うんです。
他人の夢は他人の物なのに、と。

誰かが何かの夢を持つ。その実現のために努力しますよね。そして実現の過程でいろいろなことが起きます。遠くへ行ったり、過酷な環境に身をおくことになったり、いろんなことがあります。
そういうときに引き止める存在になりがちなのが、配偶者とか親族。
この構図がどうにも納得できないのです。

「イン・ザ・ヒーロー」でいいますと、本城は長年のスーツアクター生活で身体的にはボロボロです。暮らしぶりもあまりよくない。それでも彼には大きな夢があって、そのために毎日がんばってるわけですよ。
でも、そのがんばりが「家族」へ向くことは少ない。
気持ちはあるんでしょうね。こういう人はたいてい、気持ちだけはある、と思っているものです。でも、人間、使える時間には限りがあって、妻や娘のために自分の時間を使うということが少なくなってしまうのです。劇中でも「妻が肺炎で苦しんでるのに帰ってもこなかった」と離婚の一端が語られてたりしますし。
ハリウッド映画のオファーも、ヘタしたら死んでしまうようなとても危険な内容でした。
それでも、彼はやろうと思った。その時に元妻は怒るんですよ。彼の身を案じて、ということでしたが、それだけなのかなあ、と。


現実の世界でも、似たようなことはよくあります。
仕事人間の夫が家庭を顧みないと嘆く妻。そういう夫って、仕事が自分の夢でもあり、生きる意味でもありますから、まずはそこを追求するわけです。
で、妻には家庭を守ることだけを求めているので、自分が関与していく必要性を感じないわけですね。金は渡しているだろう、それでなんの文句があるんだ、と。
妻の方も自分の夢を持って生きていればいいんですが、たいていの女性は結婚というものを「共同生活」だと思っています。夫と二人で作り上げていくものだ、と思うんですね。
だから、関わってほしいし、時間も使ってほしいと願うのです。そこでズレが生じるんでしょうねえ。
でも、妻が、自分は自分でまた違う夢を持っていて、その実現のためにがんばるとしたら、いったい何のために結婚してるんだろうってことになりませんか?

私は、映画を見ながら、またしても結婚の意味、意義について考えてしまいましたよ。
映画のラストでは、二人三脚の人生を示唆していたので、ちょっと安心したんですけども。

夢を持ち続ける、っていうのは、自分のこととして考えたらとてもすごいことだと思うし、素敵なことだと思うんですが、夢を持ち続けている人と関わるときには、それ相応の覚悟が必要なんじゃないかなと思います。だって、その夢はあくまでも他の人の夢であって、自分にとってメリットがあるかどうか、幸せにつながるかどうかは関係ないことなんですから。
自分の損得勘定だけで他人の夢に口出しするっていうのは、私はあんまり好きじゃないんですね。その行為を「愛」と呼ぶ人もいますが、そんな愛ならごめんこうむりたい。

結局「夢」はどこまでいってもごく個人的なものなのだと思います。
結果的にそれが、他の人を励ましたり喜ばせたりすることはあっても、それはあくまで結果論なのです。
やっぱり、夢は魔物なのかもなあ……。