セリフの言い方 | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

知り合いの劇団の芝居を観てきました。
若い人たちの劇団で、いろいろ頑張ってるなあと思ってるんですが、彼らの芝居を見ていて思うこともたくさんありました。

自分も来年には芝居に出るので他人事じゃないんですよね。
まあ、私はちょい役くらいしか来ないとは思うんですが、それにしたって、やっぱりセリフの一つくらいはあるわけで。
芝居におけるセリフとはどういうものか、ということについて、考えてしまいました。


そもそも「セリフ」とはなんなのか。
演劇は、登場人物の言葉によって成立する世界です。
舞台の上に展開される物語の内容を観客に教えてくれるのはセリフなのです。
(もちろん、舞台セットや衣装、照明、音楽なども重要なパーツではありますが)
舞台の上に立っている人たちがどういう関係なのか、何が起きているのか、過去に何があったのか、今どんなことを思っているのか、思っていないのか。
それらのことは、セリフと演技で表現されなくては、観客には伝わりません。

では、「セリフ」とはいったい誰に向かって発せられたものなのでしょうか。
基本的には相手役に向かって発せられていますが、同時に観客に向けても発せられるものです。
当然ですよね。
ところが、役者が自分のセリフを言うことだけに夢中になってしまうと、相手役に届かない「ひとりごと」のような言い方になります。
相手役どころか、観客にすら届きません。
感情を爆発させることに気を取られて、とにかく大声で喚いてしまったり。
長くて複雑なセリフを、間違えずに言おうと必死になるあまり、つるつると流れるように言葉だけが繰り出されてしまったり。人の名前とか、重要な言葉がすべってしまったり、端折ってしまったり。
事前に決めた言い方だけでやりとりしてしまったために、ちぐはぐな雰囲気になってしまうこともあります。

アマチュアの場合、こういうことがしょっちゅう起こります。
その役の人間として舞台上で生きる、っていうのは、とてつもなく難しいことです。
上っ面だけ「そのつもり」になっていても、そのつもりなのは自分だけということはざら。
するとどうなるかといえば、スラスラと覚えたセリフは出てくるけれども、見ている方には必要な情報すら届かないということになるのです。

実際に舞台に立つと、その景色に圧倒されます。
暗い客席から飛んでくる無数の視線。明るい舞台。現実と非現実が入り混じって、相手の顔もよく見えなくなります。セリフや動きを間違えてはいけないと思うあまり、とにかく詰め込んだ言葉を吐き出したくなるのです。

一流の役者は、舞台の上でつかの間別の人生を生きることができます。だからそのセリフは単なる「セリフ」の域を越えて、真の「思い」として観客に突き刺さるんですね。

アマチュアではなかなかこの境地に達することはできません。
それでもまれに、ふと、セリフが「自分の心からの言葉」になる瞬間が生まれることがあるのです。
私はその瞬間に憧れます。脚本に書かれた他人の言葉、単なる文字が、その瞬間「私の言葉」になったら、どんなに素晴らしいことでしょう。
そのために稽古を重ねるわけですが。


しかし、そういう一段上の感覚の話に行く前にクリアしなくてはならないことがたくさんあります。そう、最低限の技術的なことです。
発声、発音、滑舌、距離感、トーンのコントロールなど、きわめて基本的なことです。
しかし、どうしてもアマチュア劇団の場合、このへんがおざなりになりがちです。
そこまで練習時間をとることができないという事情もありますし、専門的なレッスンを受けることも難しいということもあります。
その結果、肝心のセリフがきちんと観客に伝わらない、ということが起きるのです。


映像ならあとから声をあてることで解決することもできるし、マイクで拾ってもらったり、表情で補うことも可能でしょう。
しかし、ライブで演じる舞台の場合、その瞬間に言葉が流れたらそれっきりなのです。

今日見た芝居でも、そんな瞬間がたくさんありました。
わーっと怒鳴ったために言葉が団子になってしまったり、流暢にセリフを言おうとするあまり、言葉がくっついてしまったり、音が飛んでしまったり。
それでなくともファンタジー系の芝居で、世界観を理解することが重要な話だったのに、誰のことをはなしているのか、なんのことを話しているのかがつかめないと、芝居に入り込むことができません。
自分の言っていることが誰に向けて発せられているのかの意識が足りなかったのだと思います。
「こっちにもわかるようにしゃべってくれ」と私は何度も思いました。
ほんとにわからせようとしているのか。本気で伝えようとしているのか。
そういう自問を忘れてはいけないんですね。

私もともすれば、頭に詰め込んだ「セリフ」を大過なく吐き出そうとしてしまいます。
相手の様子なんて全然お構いなしに、とにかく順番に、間違えないように「セリフ」を繰りだそうとしてしまう。そうするとどうなるかというと、そのセリフは「言葉」ではなく、記号になります。意味を持った「言葉」ではなく、単なる音のつながりになってしまうのです。

とかく素人と言うのは、「セリフを言わなくてはいけない」と思うものです。
それがなんのためにあるのか、なんのために発せられているのか、どこに届けなくてはいけないのか、というところまでは考えが及ばないのです。

自分ではちゃんとしゃべっているつもり、ということはよくあります。
この「つもり」が怖いんですよね。

これから徐々に芝居の稽古が本格化していきます。
常にこのことを頭において稽古に臨みたいと思いました。