戦隊物における女性戦士の位置づけ | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

なんかすごく堅苦しくて難しげなタイトルをつけてしまいました(笑)
そんなたいそうな考察じゃないんですけどね。

昨日、「キョウリュウジャーvsゴーバスターズ さらば永遠の友よ」を息子と一緒に観てきました。久々のゴーバスターズ、懐かしかったわ。
そして、アバレンジャーのアバレッドや、ジュウレンジャーのゲキが登場してました。
っつっても、ジュウレンジャーは見てないのでよく知らないんですが(*゚ー゚)ゞ

内容についてはちょっと置いといて、見てる時に「オッ?」と思ったシーンがあったのでそれについて考えてみます。
そのシーンとは、ゴーバスターズのイエローとキョウリュウジャーのピンク(たぶんふたりとも女子高生という設定)が二人で戦っているシーンです。

最近、こういうシーンをよく見るようになったなあと思います。
先代の戦隊ヒーローと、現在の戦隊ヒーローが顔合わせする劇場版の物語の場合、対応する色の戦士が協力して敵にあたる、という展開はお約束になっています。
そんな中で、黄色とピンクは女性が担当していることが多いために、女性戦士の戦闘シーンということになるわけですよ。

○○ジャーと名乗るだけあって、女性でも大変戦闘能力が高い。アクションシーンもしっかりこなしていました。
昨日見たのは、キックが印象的でしたね。高々と蹴り上げられた足がとても綺麗でした。

で、ふと思ったんですよ。
最近は、女性もちゃんとメンバーとして頭数に入ってるんだなって。

初期の戦隊物を見ると、確かに女性はメンバーに入ってはいますが、どうも戦力としてあまり当てにされてない感じがします。
もちろん、得意技もあり、同じように変身して戦ってはいるんですけど、ちょっとだけ弱かったり、お色気担当みたいなシーンがあったりで、ヘタしたら「足手まとい」になることすらある。
つまりは「添え物」だったんですよね。
男ばかりの集団の中に、ちょっとした彩りを添える存在。あるいは、後方支援専門で、「あとは任せたぞ」「はい。ご心配なく」みたいな感じ。看護婦とかしっかりもののおかみさんを想起させるような位置づけだったと思うんです。

それが、ゴーバスターズではちょっと違ってたんじゃないかと思います。
あのイエローの女性はかなり能力が高めに設定されていたように見えます。
キョウリュウジャーのピンクがどうなのかは、すみません、ちゃんと見てないのでなんとも言えないんですけど、攻撃能力はけっこう高いとお見受けいたしました。


最近は、戦隊物と仮面ライダーのコラボが頻繁に行われていて、同じ画面に登場する作品すらあります。そうすると、両者の違いが浮き彫りになってくるものなんですね。

戦隊物はあくまでもグループワークなのです。一人一人に得意技、得意分野があり、それを持ち寄って、最終的には力を合体させて敵に立ち向かう。
絵面としては、1対5という、ちょっとそれ卑怯じゃないの的な絵になってしまうんですが、たぶん一人では太刀打ち出来ないくらい敵が強力なのだ、ということなのでしょう。
だから、合体して、力を合わせて敵をやっつける、というストーリーになっているのです。

ところが、仮面ライダーは違いますね。作品によっては複数のライダーが登場しますが、しかし徒党を組むということはない。仮面ライダーは必ず単独、独立した存在なのです。
1号の生まれた経緯から言えばどうしてもそうなってしまうと思うし、その後も「変身する理由」からいって、単独にならざるを得ない。
フォーゼの映画のときに、女性ライダー(なでしこ、でしたっけ)が登場しましたが、彼女はイレギュラーな存在でした。過去のライダーシリーズの中では、女性が変身するものはなかったと思います。
仮面ライダーの世界では、女性は常に弱く、守られるべき存在でした。「おやっさんの娘」とか、ひより、とか、こよみ、とか。中心ライダーになる男性には常に守らなくてはならない女性がついていました。まるで「姫を守る騎士」のよう。

「戦うこと」がもっぱら男性の仕事である、ということなんですかね。
何かを守るために戦うのは男の仕事だ、と。
実際、男の子というのは総体的に戦うことが好きですね。(もちろん例外もありますが)
男性ホルモンのなせるわざなのかなあ。うちの息子も、教えもしないのに、小さい頃からなんとなく「戦いごっこ」の原型のようなことをしていましたし、この手の男の子向けのテレビ番組が大好きです。

戦隊ヒーローものを見ていると、なんとなく、「最初は全員男にするつもりだったんだけど、それじゃああんまりむさ苦しくて面白く無いから、彩りに女の子を一人いれておくか」みたいな発想を感じてしまうのです。特に初期のものは。
お色気担当で、ちょっと話を柔らかくしてくれればいい、と思われてたんじゃないかなあ。別に悪意があったわけじゃなく、そのころの女性の地位や扱い方そのものがそういうふうなものだったから。
それが、だんだん時代が進むにつれて、単なるお飾りには収まらないタイプが出てきたんじゃないでしょうか。現実の世界でも、どんどん女性の社会進出が進んできましたし。
グループである以上、メンバーはバラエティに富んでいなくてはなりません。最初は彩りとしてのキャラでしかなかった女性ですが、次第にその中身や能力で位置づけされるようになってきているのではないかと思います。

なかなか、リーダーのレッドにはなりませんけどね(笑)
ならないのか、なれないのか。
一応男の子向けに作っているし、作っているのが大人の男性ですから、リーダーが男、というのは譲れない線なのかもしれませんね。

仮面ライダーに、女性ライダーが常在していないのはなぜなんでしょうね。
ほんとにピンポイントでしか出てこないし、たいていは、被保護者の立場か、傍観者、あるいは援助者の役割です。
そのあたり、原作者の世界観がいまだに影響力を持っているのかもしれませんね。


戦いが好きなのは男の子。女の子はそんな野蛮なことは好きじゃないのよ、というのかと思いきや。
「セーラームーン」や「プリキュアシリーズ」では、女の子だけがグループで戦ってます。
戦隊ヒーローもののメンバーが全員女、というバージョンですね。
プリキュアシリーズなんて、けっこう戦ってます。実際の格闘こそしませんけど、武器を使って敵を攻撃しています。世界観はがっつり「女の子」ですし、テーマも愛情とか友情などが前面に押し出されてますが、「悪いやつがやってきて、今ある世界を破壊しようとするのを阻止するために戦う」というコンセプトは同じ。
きらびやかで華やかな描写か、泥臭くガッチリ系の描写かの違いです。

毎週日曜日に延々と放送される「正義の戦い」の数々。
そこには、友情あり、自己犠牲あり、勇気あり、裏切りあり、説得あり、涙あり、と、道徳の教科書も裸足で逃げ出しそうなくらいの道徳教育が散りばめられています。
大人になってからみると、そのあまりの真っ直ぐさに、思わず目をそらしたくなってしまうくらいで、打算と妥協で薄汚れてしまった自分の心が恥ずかしくなるときがあります。

正義って難しいことなんですけど、いちばん最初はこういう、まっとうすぎるくらいまっとうなところから始めるものなのかも、と思わされます。

でもね。
面白いのは、悪役の人。もしくは、ストーリーの都合で、正義のヒーローたちが悪の世界に落ちてしまったとき。
今回の映画でも、途中でキョウリュウジャーの面々が、悪に心を乗っ取られる場面があります。そうするとみんな、すっごい「悪い人」の演技をするんですが、これが大変楽しそうなんです。
それまではみんな、のっぺりとした「正義の人」の顔をしていたのに、悪の手先になったとたん、表情が豊かになり、のびのびと演じているように見えちゃうんですね。
悪役をやってる人たちも同じ。
いったいに、悪役というのは、すぐに高笑いしますね。「わはははははははは」なんて。
あれ、なんで笑うんだろうと子供の時は思ってたんですけど、やっぱり「悪いこと」ってある意味楽しいんじゃないかと思うんですよ。
破壊することの解放感とでもいうか。モラルやルールを無視して、人の気持ちを思い切り踏みにじって(それはつまり自分の思うままに振る舞うということでもあります)、己の利益のためだけに行動する。それはきっと、相当な快感だと思うんですよ。長くは続かないにしてもね。
そこには、必ず後ろめたさもくっついている。自覚するとしないとに関わらず、必ずどこか後ろめたいのです。だから笑う。バランスを取るために高笑いするのです。

現実の世界でも、そうじゃないでしょうかね。
ネットで他人を吊るしあげてる人ってすごく楽しそうですよね。「wwww」なんていっぱい草をはやして(つまり哄笑してるってことです)、ひたすら他人をあざ笑ってる。ほんとに楽しそうです。あけっぴろげの、誰からも共感される明るい笑いではなく、いびつで、ひきつった笑いですけどね。
「悪」を「他人に害をなすこと」と定義するなら、ネットで炎上祭りに興じている人たちはみなダークサイドに落ちてることになりますな。


私は子供の時には戦隊物を見ていません。ちょっと時代がずれちゃったので。
私がもっぱら見ていたのはウルトラマンシリーズ。仮面ライダーはアマゾンくらいまでです。
そのせいなのかどうなのか、「正義」というものについて、若干懐疑的であります。
正義ってなんだろうって思うんですよね。
やっつけられる怪獣や怪人たちにも、それなりの事情があるんじゃなかろうか、なんて思ってしまうので、戦隊物に出てくる敵が今ひとつ憎めなかったりします。
友情だって正義だって、一方的に押し付けられるのは違うんじゃないかなあ、なんてことを、うっすら思いながら、戦隊物を見ていると、実にいろんなことを考えさせてくれます。