私的ファッション遍歴 | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

ダンナに愛人がいるのが嫌か、女装癖があるのが嫌かっていうブログネタがあったけど、まったく次元の違う問題をどちらも「ダンナのこと」であるというだけでくくって比較するっていうのはなかなかぶっ飛んでるね。

「女装」という言い方にはなにかしら引っかかるものを感じる。
自分自身、スカートをはいたりして女性らしい格好をしたときに、かなり強烈に「女装してる」と思ってしまうからだ。

性同一性障害まではいかないけど、長いこと自分の身体性に違和感をもってた。
いや、そんな難しい言い方しなくてもいいか。私はこの「女の体」がずっとずっと嫌いだったのだ。今でも好きじゃない。女性特有の脂肪のつき方がひどく疎ましく思えてイライラするし、ホルモンの影響をバリバリ受けて変調する体は実にうっとうしい。
「男になりたい」わけじゃない。でも、女の体はいらない。体だけはオスのものがいいなあと思ってる。いちいちホルモンで変調を来たしたりしないような安定した体がうらやましい。

私は子どものころからわりと体の大きくて、健康優良児にも選ばれてしまうくらいふっくらした体型をしてた。
でも、そういう体型だといわゆる「女の子的可愛さ」には欠ける。
そのことを自覚したのは中学にはいったころだった。
小学生のころはそれでも、フリフリのワンピースや、可愛らしい柄の洋服を着たがっていたような気がする。ミニスカートがはやったころ(昭和40年代なかごろ)にはぶっとい足をさらしてミニスカートを履いていたのを覚えている。
あのころは、「女装」なんていう概念はなかった。女の子だから女の子らしい格好をするのだと思っていたのだ。
それが、中学に入って一気に崩れた。
自分を客観視する目が生まれたということかもしれない。そういう時期だったのかなあ。
そしてその時期に、私はとても太っていた。あの当時の健康優良児とはすなわち肥満児であったのだ。おまけに私はニキビがひどかった。肥満とニキビの二重苦で、コンプレックスの塊になった。
まわりには、すらっとしたスタイルの、可愛らしい女の子がたくさんいた。バスケットボール部に所属していたのだが、レギュラーになるような子はたいてい、可愛かった。乙女系、スポーツ系、お姉さま系、などいろんなタイプがいたなあ。
そんな可愛い女の子たちと私は決定的に違っている、と思った。

たぶんあのころからだと思う。私服がだんだん男っぽくなっていったのは。
女の子向きの服を着ても、太っているせいで全然かわいく見えなかった。
洋服を買いに行っても、着られる服がない。着てみたいと思うような服はサイズが合わなかったり、着ても似合わなかったりした。
私はだんだん、着るものをのことを考えるのが苦痛になっていったのだ。
男の子はいいなあ、と思っていた。何気なくシャツを着て、なんとなくジーンズをはいて、多少ちくはぐでも、着崩れていてもなんの問題もない(ように見えた)。
そういう、ざっくりした格好をしたいと思って着てみても、体は女なので、あちこちが不恰好にでこぼこしている。
女の格好をしようとすれば、女として落第点で、じゃあってんで男の格好をしようとすると女の体が邪魔をする。どっちもだめだ、と絶望感に襲われた。

大学に入ってからは、オーバーオールを愛用したり、ジーンズばっかり履いて、男物のカッターシャツやTシャツばっかり着てた。「女の格好」は特別な衣装となった。

ファッションにあまり熱心になれないのは、めんどくさいのもあるけれども、これらの過去のコンプレックスがいまだに解消されてないということもあるような気がする。
きっと私は理想が高すぎるんだろう。目指すところはトップクラスの女優レベルだったりして(笑)
綺麗もしくは可愛らしい顔で、スタイルも抜群で、何を着てもらくらく着こなせてしまう。
そういうレベルを無意識のうちに想定してるもんだから、まったく現実が追いつかなくて嫌になってしまうのだ。

私の娘は父親に似たのか、やけにすらっとした体型である。痩せてるし(未だかつて太ったことがない)足は細くて長い。化粧もうまい。だから通販で服が買えるし、なんでも着こなしてしまう。実に羨ましい。私もあんなふうだったらもっと熱心におしゃれを楽しめたんじゃないだろうかと、親にあるまじき嫉妬心を覚えることもある。

ごく一時期、私も少し痩せていた時期があって、そういうときにはそれなりに女らしい格好を楽しんだこともある。でも、いつも頭の隅に「あえて女の格好をしている」という意識があったと思う。
今でも、スカートをはいたりすると「今私は女装している」という感覚になる。
それが楽しいかというと、楽しさ半分、しんどさ半分、というところか。決して心から楽しめないのは、体型のせいなのか、長年抱えてきたコンプレックスのせいなのか。

マツコ・デラックスは「女装している」という。女になりたいというわけではないらしい。
武装手段としての女装なのだそうだ。
女装、とはいったいなんなんだろう。
スカートをはく。ひらひら、フリフリしたデザインの服を着る。そういうことなのか。
女らしいとはどういうことか、というあたりまで遡ってしまいそうな問いである。

ぽっちゃりがいい、なんていうカウンターな意見も出てきてるし、国によっては太っている方が美しいという美的基準もあるという。
でもやっぱり、スカートのウエスト部分にぶよっと肉が乗っかっているのはあまり美しくないと思ってしまう。足が太いのは短く見えるし、短くて太い足はやっぱりあんまり美しく見えない。私は鏡を見るたびに深く深くため息をついてしまう。

以前「何を着たらいいんだ」という記事を書いた。ほんとにね、もう何を着たらいいのかわからなくなるのだ。年をとってしまったので、男性向けのTシャツやらカッターシャツやらがなんとなく似合わなくなってきた。若い時に着ていた服もさすがに痛々しい。かといって、いきなり50代の「大人の女性」っぽい服装は恥ずかしいのだ。中身と外見が釣り合ってないような気がしてしまうから。
あーでもないこーでもないとさんざん迷ったあげく、最後には「どうせ誰も私の服なんて気にしてないって」と開き直って、そのへんにあるものを身につける。なにやってんだろうなあしょぼん

衣服って考えてみれば不思議なものだ。
そもそもは裸体を覆い隠すために、動物の毛皮やら布やらを巻きつけたところから始まったものなのに、今では何かしらの意思表示の道具になってる。
なんで女性用の衣服ってあんなに装飾性が高いんだろうなあ。キラキラ、フリフリ、ふわふわ、色もカラフル、形もさまざま。そして意匠を凝らしたものほど「女らしい」と言われるのだ。
そういうものを身につけないと「女を捨てている」と非難されることすらある。

ファッションについてはよくわからない。なにがよくて何が良くないのか、判断できないから。
また、いくらよくても、サイズやデザイン的に着られないものもあるし。
基本的にはボーイッシュな服装(というか楽な格好)で、たま~に女装する、という感じかなあ。ほんと、着るものには頭を悩ませられますわ。