リアルorアンリアル | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

映画「リアル~完全なる首長竜の日」を観て参りました。
若干ネタバレ気味ですので、未見の方はスルーを推奨いたします。

























では。








う~~~ん。なんともはや、不完全燃焼な気持ちが残ってしまって、残念でした。
監督の意図を理解できない私が悪いのかもしれません。
主演の2人は悪くなかったんですけど、やはり監督の描く世界観、手法、そして映画の展開などについていけないものを感じてしまったんですよね。

ちらっとレビューをさらってみたところ、やはり賛否両論。
もともと監督のファンだった人は「待ってました!」な感じだったみたいですけどね。

私としては、やりたいことはわかるんだけど、それがどんな意味を持っているのか? どんな意味を持たせたいのか? というあたりがよくわからなくて。
わからないのがいい、って言われちゃうと、だったら見る必要もなくね? なんて思っちゃうわけで。

一応原作はミステリーなんですよ。原作は読んでますが、実を言うとあんまりはっきり覚えてない。このあと、もう一度読みなおそうとは思ってますが、少なくとも原作とは全然違う話であることは確かです。映画に出てくるちょっとしたアイテムは原作から持ってきてるみたいですけど、思わせぶりに出てくるファクターやアイテム、キャラクターの意味がわかりません。
「なんとなく意味ありげで怖そう」っていうだけでいいんですかね。

前半のホラー展開は、まるで「ホラー映画とはこのように撮る」というお手本みたいでした。
ゆっくり近づくカメラとか。やけに長々と映される小道具たち。ためにためて動く人々。
佐藤健くんが何かに気づいて近づいていき、ハッと目を見張った次のカットで衝撃的なものが映る、とか。フィロソフィカル・ゾンビの動き方や顔つきは、まるで監督の指示が聞こえてくるような演じ方。街の人達の不穏な感じの歩き方すらも演技指導が如実に出ているようで、これはわざとなのか、そうじゃないのか、見ていてすごく悩みました。
前半で、健くんが乗っている車の外を流れる光景が、どうしてああなのか。わざとなのか。わざとならどんな意図があるのか。ただなんとなく意味ありげなだけなのか。

怖がるにはあまりにも感情移入できなくて、それはつまり物語に没頭できないという意味でもありますが、見ているうちに「これだけおかしな現象をつきつけるということは、きっと別の意味があるに違いない」と思うようになます。そしてそれはその通りなんですけど、そこから先の展開があまりにも異質。
まったくテイストが変わってしまって、甘っちょろい、薄っぺらい恋愛モードになってしまったんです。
恋人同士の愛の力って、死にそうな人を無理やり呼び戻してよかったよかった、ってすることなんですかね?
まあ、そのわりにはラストカットは、「ん?」と思わせるような雰囲気になってましたけど。

2人の愛に必然性が感じられなかった、というのもありますねえ。なぜその人じゃなきゃだめなのか。あれじゃあ、まるで、「そういう設定だから」というふうにしか見えませんでしたわ。

そして、豪華な出演者なのに、ものすごくもったいない使い方されてて。
キョンキョンや松重さんをあんなふうな役回りで使うのはほんと残念です。特にキョンキョン。彼女の魅力が封印されちゃってましたねえ。あれなら他の人でもよかったんじゃないかなあ。

「ああ、ホラー映画ってこんなふうなカットで撮るんだ」とか「こんなふうな演出をするのね」と思いながら見ていた前半。ほんとはもっと怖いはずなのに、どうして怖く思えないんだろうと不思議でした。中盤から後半にかけては、もっとなにかが胸に迫ってくるはずなのに、この中途半端な気持ちはなんだろうと思いながら見ていました。誰にも共感できないと、なんの感情も湧いてこないんですね。
ことごとく当てが外れてしまったこの映画は、私には向いてなかったみたいです(ノ_-。)