自分を追い込む | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

いつも読んでいるブログに、「発達障害」のことを書いているブログがあります。
今日の記事では、発達障害者は成長がゆっくりである、というようなことが書かれてあったのですが、その中に、発達障害者は自分語りをよくする、と書いてありました。
それは巷間言われているようなナルシズムの発動ではなく、自分の体験ですらも、深く分析しそれを言語化して、自分に言い聞かせないと理解できないせいなのだそうです。
なんとなく、漠然と、曖昧なまま、わかったようなつもりになるということができないんですね。

私も、しょっちゅう自己分析していますし、自分語りをします。
もちろん、「自分大好き」だからではなく、自慢でもなく、ただただ、自分の身に起きたこと、自分が考えたことやってしまったことが、いったいどういうことだったのかを知りたいからです。

どうしてこんなに生きづらいと思ってしまうのか。
どうしてこんなふうに考えてしまうのか、行動してしまうのか。
常に納得がいかず、わけがわからないまま、辛さだけがある。
つらいんだけれども、それを人に訴えても「みんな同じだよ」と言われてしまうことが多く、それはそれで納得できないんですね。
他人の体験を自分のものとして実感することができないせいなのでしょうかね。
他の人がどれだけ辛いとしても、そのことがすぐさま、私の辛さの軽減には繋がらないと思ってしまうのです。

なにかいつも、齟齬があり、違和感があり、しっくりこないところがある。
それはいったいなんなのか。それが知りたいのです。
そのために、どこまでも自分の中に分け入っていき、分析し、考えているのだと思います。


で、本題。
今、私は自分を追い込んでいます。
背水の陣を敷いているといってもいいくらい。
いろんなことを、「やります」と宣言してしまっているのです。
紙芝居を作ろう、というのもそのひとつ。
関わっている読み聞かせサークルの、クリスマス会で、自作の紙芝居を上演してみたいと思っているのです。
ストーリーはだいたいできているのですが、肝心の絵が描けないで困っていました。そしたら同じ図書ボランティアの仲間が絵を描いてくれることになったんです。
大げさな言い方かもしれませんが、本気で思えば道はひらけるんだなと思いました。
それから、もうひとつ、芝居もやろうとしています。
来年の春に、小さな喫茶店を会場としたユニット公演があります。そこに出演しようというのです。先日「占い師マスヨ」というキャラクターのことをちらっと書きましたが、あれが実現しそうなのです。

「やりたいな~」と漠然と思っているだけでは、なにも事態は変わらないんですね。
口に出して、人に言って、動き出せば、何かが変わりだす。
これまたいつも読ませていただいてる相河ラズさんのブログのように、「言霊」のちからなのかもしれません。どんなに荒唐無稽に聞こえることでも、自分が腹をくくり、本気で願えば、なにかしら形になっていくものなのかもしれません。



あんまりポジティブすぎると反動がきて、全部ご破算になる可能性もあるので、調子に乗ってはいけないんですけどね。気をつけつつも、しばらくは走り続けようと思っています。