幸せってなんだっけ | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

「結婚して家庭をもち、子供を育てることが人としての幸せである」ってよくいうけど。

実を言えばずーっとそれが理解できなかった。
なんで結婚することが、家庭を持つことが、子供を育てることが、イコール幸せ、ってなるんだろうって。

幸せ、ってなんだろう。
「世間並みである」という満足感をもって「幸せである」とする、ということなのかしら。

最近若い人達の未婚率が上がってるそうだけど、無理もないよなあと思う。
もともと他人が一緒に暮らすんだから、良い事のほうが少ないような気がする。
でも、上の年代の人達は、アプリオリに結婚はするものだ、とあえて意識しないくらいに当然のことだと思ってきたから、結婚しない人たちを見ると改めて「なんで?」と思ってしまうんだろうな。

でも、「結婚は我慢だ」とか「結婚は墓場」だとかさんざん言ってきて、その上で他人に結婚を勧めるっていうのがまずわからない。
自分がさんざん苦労したって言ってるのに、それを人に勧めるか。

メディアでたまに、すごくラッキーな結婚生活を送っている人を紹介する。
でもニュースバリューがあるってことは、それだけレアケースだってことでしょう?
だとしたら、そんなレアケースが自分にも当てはまると思うほうがどうかしてる。

「ひとりでは寂しいから」とか「頼れる存在がいたほうがいい」とか「家族がいると安心」とか言うのも、そうかなあと思う。
いくら結婚したって寂しいものは寂しいし、相手が頼れる人かどうかなんてわかんないし、逆にもたれかかってくる人だったら負担ばっかりだし。家族がいると助かるのは、何か不測の事態が起きたときに、責任を負わせることができるからなんじゃないの?
どうしても「結婚」じゃなくちゃいけない理由はどこにあるんだろう。


私が「しあわせだなあ」と実感するのは、面白い本を読んでる時、面白い映画を見てる時、ひとりで行きつけの日帰り温泉の露天風呂に浸かってるとき。
……全部、一人だ((゚m゚;)

そんな私がなぜ結婚生活を送っているのかというと、たぶん生活のため。
専業主婦という立場をまんまと手に入れて、生きている。
もし自分も働かないと生活できないなら、結婚生活を継続する理由がないんじゃないか?とふと思った時、ちょっとぞっとした。私ってそこまで打算的なのかって。
……まあ、打算的なんですけど(;^_^A

つまり、「愛」はどこにあるのか?ってことです。

もちろん夫のことは嫌いじゃない。嫌いなら一緒にはいられないもんね。
愛着はある、と思う。
愛着と愛はイコールだろうか。

さあ、困った。
「愛」ってナンデスカ。

昔、若い頃に胸が焼きつきそうなほど誰かのことを「好きだ」と思ったことはあるけど。
それはあくまでも「私」だけの思いで。
今思い出してみると、相手の気持ちって全然信じてなかった気がする。
恋人どうしになった時期もあるんだから、それなりに私のことを好きだったのかもしれないけど、でもそのことを本気で信じてたことはなかった気がする。
相手がそう言うから、そういうことにしておいただけで。

自分が相手を好きになる、という感情はわかるけど。
相手から愛される、とか、「好きだ」と思われる、っていうのがわからない。
たぶん信じてないな。
「そういうことにしておこう」と思ってるだけだ。

愛ってなんだろうなあ。
結婚が幸せってどういう意味なんだろう。

ここへきて、こんな根源的な疑問にぶちあたってしまった。(;°皿°)