壮大なテーマ | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

何のために生きている? ブログネタ:何のために生きている? 参加中
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ちょっと不安定なので、ブログネタでもやろうかと思ったら、こんなテーマが(笑)
もう、水に落ちた犬を、ガンガン棒でつつきまくってるみたいな状態になってる。

あ、話それますが、以前「1000文字小説」ってサイトで、水に落ちた犬という比喩を使って小説を書いたんですが、それをそのまんま「ペットの犬」というふうに読まれてしまって、「飼い主のいない犬は叩いてもいいのでは」なんていうコメントがついたことがあった。びっくりしたわあ。いつの間に「水に落ちた犬を叩く」という表現がなくなったんだ!と焦ってしまいました。

失礼。全然関係ない話でしたね。

14歳くらいのころ、ふと「何のために生きてるんだろう」という疑問に取りつかれたことがあった。毎日毎日、そんなことばっか考えてた。
このテーマは、考えれば考えるほど、「生きててもしかたないじゃん」という答えに近づいてしまうという禁断の問いである。
だって、そんなのわかるわけないし、何が正解かもわからない。

なんで生まれたの?なんで生きてるの?
そういうことを考えたくなる時って絶対あるけど、私もさんざん考えたけど、答えなんか出ない。
19歳の時に、海を見ててふと、「死ぬために生きてるんだな」と思った。
死ぬまでに何年かかるかわからないけど、とにかくそれまで生きて、何かしらやって、そして死んでいくことが生きる意味なんだ、と思った。
夜の海って、とても神秘的で、引きこまれそうな怖さがあって、夜空との区別もつかなくて、遠いところから寄せては返す波の音がする。そんな海を見てると、神様じゃなくて、なにかもっと大きな存在、「大いなる意思」みたいなものがあって、ちまちまとした人間のちっぽけな悩みなんてどうでもよくなってくる。こざかしく自分の命をもてあそんだりせず、あるがまま、朝目が覚めたら一日を始めればいいんだ、と穏やかな安心にたどり着いた。
どうせ死んでしまうんだから、とやけになっているのではないよ。むしろ、どうあがいたっていずれは死ねるんだから、今生きていればいいじゃないか、と思えるのだ。

まあ、このネタの意図としては、「かわいい子どものために生きてます」とか「夢をかなえるために生きてます」とか、「おいしいもの食べるために生きてます」とかそんなふうな答えを出してもらおうってんだろうけど。
あ、それも悪くないね。あっさり表面的な答えとして、たとえば「一つでもいいから納得のいく小説を書くために生きてます」とでもしておこうかな。

でも、つきつめた答えとしては、「ちゃんと死ぬために、生きてます」なんですよ。