ぽにょからの連想 | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

ぽにょはまだ観てません。たぶん観に行きません。いつかテレビでやってたら、見てしまうかもしれないけど。

宮崎アニメはテレビで大量に宣伝するので、公開が迫ると、ついあれこれ思い出してしまいます。人それぞれ好きなアニメがありますよね。ちなみにうちのダンナはラピュタが大好きです。私はあの「バルス」が好き。崩壊の呪文ってワクワクします。


ベタかもしれませんが、私はどうにもトトロが好きです。

トトロが、というよりも、あの田舎の空気感が好きなのかも。

娘も息子も大好きで何度も繰り返しビデオ(テレビで放送されたのを録画した)を見るので、ついにはセリフを覚えてしまいました。見るともなしにテレビから垂れ流していると、ふいにセリフが口をついて出てきます。

お母さんの一時帰宅がキャンセルになって、さつきちゃんが落ち込んでいるところあたりからの、圧倒的なもの寂しさが、たまらなく好き。いなくなっためいちゃんを探してさつきちゃんが走り回る時の、あの夕暮れに近づいていく透明な空と、暮れていく空気。あたり一面のみどり、みどり、みどり。夏草の匂いがしてきそうです。


これと同じような、けだるいたそがれた感じがするのは、千と千尋の神隠しで、水面を電車が走っていくシーン。銭婆のところへせんが行こうとしてるんですが、このシーンになると、映画のトーンが急に変わる気がする。というか、ここだけなんか違う。ものすごく静かでさびしくて、はるばるしてて。どこへつながっているのかわからない踏切で、ぽつんと誰かが待っている。通り過ぎる人影のないプラットフォーム。初めてみた時涙が出そうでした。わけもなく懐かしく、一瞬にして心を遠くへ投げられてしまったような気がしました。


こういう言い方はいやらしいですが、宮崎駿さんという人の原風景ってあんなふうに、しんとさびしいものなんでしょうかね。


人のいない真夏の昼下がりにも、似たような、しんとしたもの寂しさを感じます。

私はそういうのが好きなんでしょうね。


ところで、なんでぽにょを見ないかというと、人魚姫のお話だからです。

アンデルセンの人魚姫は最後に泡になって消えてもそれはそれでしあわせなんだよ、という終わりだからまだいいけど、そうじゃない終わり方はどうもね。

「愛しているのだから」という言い方は押し付けがましくてあんまり好きじゃないんだ。