このシリーズもはや8巻目。
今回は初めて、読み終わってから切実に不安になった。
小説は、実際の事件からヒントを得て書かれているようで、そういえば似たような事件があったな、と思いながら読んでた。
「千川フォールアウト・マザー」では、若いシングルマザーの女の子が、たった一晩コンサートにいったがために、3歳の息子がベランダから落ちてけがをした、という事件が中心になってる。
現実の事件が起きた時は、「小さい子を一人で留守番させて遊びに行くなんて」とちらっと非難めいた気持も起きた。マスコミも世間もそう言って母親を責めた。
「非正規レジスタンス」は日雇い派遣の問題。作中では「ベターライフ」という名前の会社だけど、簡単に類推できるよね。そう、あの会社。
ネットカフェで寝泊まりするフリーターは、本当にすべて自己責任なんだろうか。
そもそも自己責任てなによ。そういう境遇を好んで選んでいるわけではないのに。
読み終わって、今自分のいる場所が、突然ひどく心もとないものに感じられた。
ちゃんとした船に乗ってると思っていたのに、ふと見ると、ぺらっぺらの板をつなぎ合わせたちゃっちい筏だった、みたいな。板子一枚下は地獄、ってこのことか。
突然職を失って、そのせいで住むところも失って、ホームレスにはなりたくないとネットカフェをねぐらにして、お金がないから日雇い派遣でしのいで・・・これって転落のスパイラルなんだね。
「努力すれば、なんとかなる」とか「がんばれば夢はかなう」という言葉を、安易に使うのはやめにしてほしいなあ。努力すれば、がんばれば、なんとかなることもある、くらいのことなんだよ。努力や頑張りが必ず報われるものなのだ、という前提でモノを考えると、じゃあ、報われないのは努力が足りないからだねってことになる。自己責任、てか。なんかあやしい宗教で「病気が治らないのはお祈りが足りないからです」って言われてるみたいだ。
正当な努力を否定するつもりはない。でも昨今は見当違いの努力を強制されてないか?と思うことが多々あるのだ。
むかーし、「はぐれ雲」というマンガで読んだセリフが忘れられない。
うだうだしている友人に憤慨する青田先生に対して、渋沢老人が言うのだ。
「努力できる、というのも才能のひとつですよ」と。
がんばってもがんばっても、個人の力ではどうしようもないことだってあるのに。
砂の城に住んでいるかのような、不安定な、危うい感じと、私にはどうすることもできないという無力感に押しつぶされそうになる。
ゆうべは、不安な、不安な、夢を見た。