見えない世界 | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

かねがね不思議に思っていたのだが、霊感というのはいったいなんなんだろう。

ちょっと前にてっぺいさんが記事にしてて、いや~、こわいわ~と思いながら読んでいたのだけれども。

小説やマンガの中では、この世に寄り添うもう一つの目に見えない世界というものがあって、そこにはたくさんの霊がいるという話はよく使われていますが。

私には霊感がないので、そういう、何かを見たり聞いたり感じたりという経験をしたことは一度もないのです。写真も、なんか変なものがうつっている、というやつを撮ったことがない。

霊感は、ある人にはあるが、ない人には全くないもの、なのだろうか。

霊の世界があるのかないのか、それは私にはわからない。科学万能主義ではないので、もしかしたら、まだ実証されてないだけで、そういう世界が存在しているのかもしれないと思っている。


ある、として考えを進めていくと、いつもぶつかる疑問がある。

どうしてある特定の人や出来事だけが、「見えた」と言われるのだろうかということ。

また、見えるのがほぼ人間に限られているのはなぜか、ということ。

人間以外の動物や、植物、昆虫などには、「霊」と呼ばれるものはないのだろうか。


あ、「下級な動物霊」というのはありましたね。祟られたりするんだ。犬や猫やキツネやタヌキなんかが、どうかすると悪い霊になってとりついたりする、という話は聞きますね。

なんで祟るんだろう。なんでお経と線香で成仏してしまうんだろう。あ、あと塩。

塩にはケガレを払う力がある、と言われてるけど、これもよく考えるとわからなくなる。海水から作られた、昔ながらの塩でないといけないのか、JTが作った塩化ナトリウムでもいいのか。ケガレをはらう力はニガリにあるのか、ナトリウムにあるのか。


桃にもそういう力があるといわれてますね。だから「桃太郎」が鬼退治に行くのだ。

なんで桃なんだろう。


そういう細かいことがすごく気になる。

なんで目に見えないのに写真にはうつるんだろう。どういう仕組みでフィルムに写り込むの?デジカメだとどうなんだろうか。存在をデジタル化して写り込むんだろうか。


決して、霊感がある人を馬鹿にしているわけではなく、茶化しているわけではありません。ただ、不思議なだけ。どうして、「それ」が見えるんだろう、と。

ひとつの場所で、どれだけの人が死んできたのかわからないのに、なぜ「それ」なんだろう。見えちゃった人は、「だってそれが見えたんだもん」と思うだけなんで、それはその人の責任ではありません。責任というならむしろ見られた方。

どうしてあなたなの?どうしてその事件なの?ということです。


その辺の法則性とか、理由なんかを知りたいなあ、と思うわけですよ。


人間の感覚というのは、信じられないほど鋭い反面、ものすごくあっさり裏切る。

「見た」と思ったものが幻視だったり、「聞こえた」と思ったものが「幻聴」だったり、ということだって十分ありうるのだ。臨死体験すら、脳のある部分の働きによるものだ、という説があるんだから。

でも、「見よう」としなくても「見えたり」する人もいるわけで、そうなると、さあもうわけがわからない。いったいそれはなんなんだ、と思う。


「気」というわけのわからないものもあるしねえ。

気。気ってなんだ。どういう仕組みで存在してるんだろう。どうして良くなったり悪くなったりするのかなあ。何でできているんだろう。



怖がりなんで、お化け屋敷には絶対入らないし、なるべく怪談も聞かないようにしてる。でも、見たり聞いたりしてしまうと、怖さのあまり、内容を分析しようとする。なぜだ、なんなんだ、って。情景を想像するとすごく怖くて背筋がぞっとするんだけど、つまり絵的には大変恐ろしい、と思うんだけれども、ふと、なんでだ、と思ってしまう。


トンネルを車で走っていて、突然手首が出現した、肩を掴まれて手形がついた、という話を聞くと、ぎ~や~こわ~、と思いながらも、その手首は何でできているんだろう、と思う。どこから何のために出てくるのだろう。なんで物理的に手形がつくの?

その説明がつかないから怖いんでしょうが、と言われればそれまでなんだけど、なんか納得がいかない。

そういう説明のつかなさと、見知らぬ人が突然刃物で襲いかかってくるという不条理では、圧倒的に後者の方が怖いと思う。



考え出すときりがない。

自分に霊感があったら、また違う考えを持ったのかもしれないな。