シズコさん | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

佐野洋子さんの文というのは、奇妙な感じがする。たらたらと流れるような、でも時々きゅっとひっかかるところもあって、読んでいて息が苦しくなる。

「4歳くらいの時に、手をつなごうとしたら、ちっと舌打ちして手を振り払った。それ以来二度と手をつながないと決意した」

決意した4歳というのもすごいけれど、やはりそういうことは覚えているものなのである。

私にはそんな劇的なエピソードはないけれども、気がついたらもう何十年も母に触れていない。手をつないだ記憶もない。肩を叩いた記憶もない。体に触れたことがないのだ。もし、母が倒れて私が介護することになったら、母に触れるのだろうか、という心配をすることがある。ちょっと想像がつかない。


母と私はタイプが違う。母は勤勉で好奇心もあり、現実をみるリアリストだ。私は怠惰で、好奇心はあるけれども行動力がなく、夢見る夢子さんだ。母から見た私はずいぶん歯がゆかったであろうと思う。未成年でいたころはずいぶん怒られた。離れて住むようになって、目の前から消えたせいか物言いが柔らかくはなったけれど、それでも「ああしたら、こうしたら」というアドバイスがことごとく私に向いていないものだったので、返事に困ったものだ。

よかれ、と思って言ってくれていることはわかるのだが、あれをやってみたら、の「あれ」が私の一番苦手なことだったり、全く興味の持てないことだったりする。

そういうとき、ああタイプが全然ちがうんだなあ、そしてそのことにかあさんは気付いていないのだなあ、と思う。


だいたい、親が「よかれ」と思うことなんて、その親にとってのいいこと、なわけで、子供だからって同じように思うなんていう保証はないのだ。


それでも親はあれこれ言うもんだけどさ。だって何が幸いするかわからんもんね。


今の私の立場って、子供でもあり、親でもあるので、とてもややこしい。



娘というのは父親に似ることが多いようだ。私も父親に似ている(性格や体質など)し、私の娘も彼女の父親に似ている。その父親を好きかどうかで、母と娘の仲の良さが決まってくるのよね。嫌いなオトコに似てるやつなんて、気に障るに決まってるもの。でも半分は自分に似てるとこもあるから、心がちりぢりに乱れてしまうのよ。



親子ってむずかしい。