歌、歌う | hyuのそんなこんなな日々

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田舎の書店で働きながら病気やらあれやらこれやらとうまく付き合いたい日々を綴る日記。

届かない歌を、歌うのは虚しい。

 

もう疎遠になってしまった、もしくはならざるを得なかった大切なヒト、という存在は、

それなりに生きていれば案外誰にでもいるもんだと思う。

そして一度大切だと想ってしまったヒトは、どうにも忘れられないもんだ。

好きか嫌いか愛か憎しみかは置いといて、どうしても忘れられない存在は、居る。

思い出すたびに息が苦しくなる存在が。

 

今日ねー、そんな奴の誕生日なんだよねー。

今更どのツラ下げて「おめっとー☆」とか言えるんだと毎年落ち込む日。

奴が産まれてくれためでたい日にひたすら落ち込む俺。どこがめでたいねん。

 

ほんの〇年前までは、ほかの仲間と競うように零時になったらおめでとうメールを入れていたのに。

「おめでとう」は言われる方も幸せだけれど、当たり前のように口に出せることもまた幸せなもんですよね。

イイコト言ってるっぽいけど、気付いたのは言えなくなってからですけどね。

ほら、人間というものは、いつも失くしてから気付くもんだから。

ただ、奴を失う原因を作った人間を、俺は一生赦すことは無いでしょう。

 

簡単に言うと、昔四人でつるんでいて、そのうちの二人に裏切られて、四人は散会。

そこから俺は精神科通い。自傷行為もためらわなくなった。つまり、失くしたものが大きすぎた。

今でも、名前を見かけると過呼吸を起こす。

 

そりゃまぁ生きてりゃ裏切りに遭うことくらいあるだろうよ。

でも奴らに限ってそれは無いと信じていたんですよ。

ねえ楽俊。こんな俺に説教してくれ。楽俊に聞いてもらったら少しは楽になるかもしれない。

…ああいや。こればかりはいくら楽俊でも無理かな。裏切られたのが「俺」である限り、

赦すことが出来るのも俺だけだから。

 

ずーっと記憶喪失にならないかなと願っている。

気持ちが多少落ち着いているときですら、記憶は失くしたいと希っている。

裏切られた記憶ではなく、出会った記憶そのものを。一緒に笑い転げた記憶すべてを。

産まれてこなければ良かった・消えたいと思うくらいなら、記憶を失くしたいと思った方がまだ健全じゃない?

記憶を操作できる薬が出来たら、全財産投げうつのに。いや、俺の全財産なんて雀の涙の半分くらいもんだけど。そこはほら、言葉の綾で。

 

だってあいつらのせいで、大切なヒトにお誕生日おめでとうすらも言えないんだよ?

それとも、裏切られた俺に原因があった?

だとしてもそれは、俺ががんがん手首切って、精神科に数ヶ月入院させられるほど苦しまなきゃいけないほどの原因だった?

あの時あの裏切りが無ければ、俺のASDは発覚してなかったかもしれないけれど。

 

一生苦しむんだろうな。

俺のせいではないことで、死ぬまで苦しむんだ。

 

苦しむことを再確認する日。大切なヒトがこの世に誕生した日。

せめて、本人が幸せな記念日を過ごしていると良い。