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ネットの波をパドリングからライドして良い意味、悪い意味両面において興味深い統計を見つけた。

現日本においての死亡要因第一位はだいたい『がん』と記載されている。
確かに周りで亡くなる方は癌が多い。
芸能人なんかも癌であると言う人が多い。

だが、真実は違うらしい。昨日見たサイトではこう記されていた。


現日本においての死亡要因第一位は『中絶』であると。


見ていたサイト自体が斜に構えるというか、皮肉めいた様な内容であるため、真相は定かではないが、あながち嘘でも無い気がする。

母体に起きた何らかの事情で産まれて来る事が出来なかった子もいるだろう。
望まれて待ち焦がれて、それでも生きられなかったと。

逆に不適切かもしれないが、望まれない子。
つまりは浅はかな認識から出来るべくして出来てしまった子、軽い気持ちでの堕胎。

悲しいが、俺の周りで起こり、知り得たケースは後者である。


医学的に見たら死因としては数えられないのだろうか?
外の空気に触れて初めて1人としてカウントされるのだろうか?

仮にそうだとしても俺は納得いかない。

今まで沢山の妊婦さんや、その旦那さんを見てきたけれど、彼ら彼女らから見ればその一個の命は紛れもない1人の命で、何よりも尊んでいる。


未婚、妊娠未経験の俺は語るに語れない話であるが、命については多少なり語る権利はあるだろう。

俺が産まれて両親と兄弟の世界は俺という人間が持つキャパシティだけ余分に広くなっただろう。
俺が見るもの聞くもの感じるものは、痛くとも心地良くとも全て抱み込んでくれてきた。
恥ずかしながら多少なり愚痴をこぼされる事もしばしばあるが、それでも考えられないくらい守られてきた。
今尚進行形である。

学生時代に悪い事をすればお決まりの様に呼び出されて俺の代わりに叱られる。

何かしらで良い結果を残せば、それはそれで誉められる。
時には自分の事の様に天狗にもなる。


他にも恥ずかしくて書けない様な感謝の気持ちはあるが、それ以前に些細な事から大きな事まで書き綴れば何十頁になってしまうから止めておく。

これ以上天狗にさせてしまったら山から降りてこれなくなってしまうだろうから。



命は伝染するもの。
譲り受け。
人それぞれ『生まれる』というものの尺度が違うこと。
当たり前のことだろう。



『生まれてきてすみません。』とか、『死にたいです。』とかは軽々しく言わないで欲しい。


先日街で友達の夫婦にばったり会った。
妊娠5ヶ月だ。

実に素晴らしい。


世の中は素晴らしさに溢れてるよ。
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異世界へダイブ。

在りしままの世界で孤軍奮闘、唯我独尊のスタンドプレイに邁進するよりも、少し目を閉じて深淵にいる自分を想像してみて。


幼い頃、死後の世界や過去に未来に思いを馳せ、三次元空間の歪みからなるパラレルワールドに憧れを抱き、並行したアナザーワールドに恋焦がれていた。
墓場の大運動会での片目チャンチャンコ野郎の大活躍、時空を駆ける旧車会なんてもんにも胸が弾け踊ってた。
亀忍者は俺のヒーローで、大きな空飛ぶ犬っころが出てくる話は今なお俺のフェイバリットだ。

こんな世界すげぇやべぇよ!ドキドキワクワクといった具合にリビングに作った秘密基地の中、誰にも言わず1人思っていた。

それが今じゃ何かと現実的な角度から話に食ってかかる様になってしまった。

人工知能のロボットは実際いくらくらいで買えるのか?
反重力装置は何年後に市販されるのか?
タイムマシンってのは燃費がいいのか?つうか燃料はそもそも向こう百年ガソリンなのか?
何万年かけて作った物がたった何年かでなくなっちまう皮肉的な凄さ。
とか、色々毎日頭の中で考えちまってる。

これではいかんだろうと最近思った。
余命60年だとして、人間形成を一生涯と考えるなら、まだまだ鼻水垂らして夢見ててもいい気もする。
ただ、無理に変則かつ変態的角度から物を捉えようとすると足元を掬われる。

あくまで自然体もしくは自然体を装うことが大切で、さながらテーブルクロス引きの際のワインボトルの様に。

『足元掬われたのに動じてないわ!』
『ふぅむ、佇む姿はまるで中世の石柱のようであるな。』

パチパチパチ


同世代の前途多難な同士よ。
先行き不透明からくる幾ばくかの不安や、広く浅くの言動で暗礁に乗り上げることもあるかと思う。

しかし、『迷わず行けよ、行けばわかるさ』の精神で乗り越えていこうではないか。

俺と君が凡人だろうと非凡だろうと気にはしない。
人間は知らず知らずに積み重なり、透明度を上げ、不純物を省き、硬度を上げ、揉まれ、角は取れ、より深く、されど明るく、高く、広くなっていくものらしい。

だから大丈夫だ。

ただ、ぬるま湯にはあまり慣れない方が良いかと思う。
ふやけちゃうからね。



そして、出来るならばシャーマン辺りまでレベルアップキボンヌ。
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ダダこねたってチョコは貰えないのさ。

相手あってのバレンタインだから。



本日2/14、色めき立つ土曜日は知る人ぞ知る、聖バレンタインデーである。


高校を卒業し、大学に入ってから社会に出た現在まで、年々順当に貰う数が減り、俺の見た目向上心も相対して減り、昨日の夕方に散髪屋で刈り上げてきた所である。

ちなみに刈り上げは、事あるごとに俺なりの決意表明だ。


日夜365日。
360度を覆う電波の層に肩までどっぷり浸かっていると、大体2月入ったくらいからバレンタインデーの優雅な調べを否が応でも聞き見しやくてはならない。
別にバレンタインデーに嫌な思い出は無し、むしろ昔からキラリと輝くセンスでおねだりをして、義理チョコを肩掛けバック満タンにして帰っていたくらいだ。

お気づきかもしれないが、実は中々のプレイボーイだったのである。
断言をしておこう、世の中のプレイボーイがどの程度かは知らない(知りたくもない)。
何故なら、知ってしまうと己がランク圏外であることをきっと認めざる得ないだろうから…

きっと…


そんな井の中の蛙である俺ですらこれだけマスメディアや街中至る所にある媒体によって、勝手に聞きたくもないような黒い噂をキャッチ出来てしまう。

この現在において、何物にも縛られず、良い意味での無知など到底不可能であり、受動と能動の比率があからさまに受動に傾いている街を歩けば、人に当たる確率並みに情報にぶち当たる。


『逆チョコ』もそんな俺にぶつかってきた一つ、しかも最近では稀に見るギザギザピカピカのスタッズパンクス並みに尖っていたのである。

聖バレンタインデーに、あの朝からワクワクソワソワして浮き足立つ聖バレンタインデーに、あの人知れず通学電車の中で覚悟を決める聖バレンタインデーに、あの下駄箱や机の中を素知らぬ顔で探り、筆箱をチョコと間違えてしまう聖バレンタインデーに、聖バレンタインデーに、St.ValentineDayに男からチョコを渡すなんて、到底考えられない!

さらにそれを流行らせようとする企業側の企みが解せない!

そして世界が許しても、お天道様と、藤岡弘と、高田延彦と、野茂英雄と、俺が許しはしない!!

日本男児よ、この場合なよなよロン毛とスキニーの組み合わせはまぁ百歩譲って許すにしろ、逆チョコは許してはならない。
遺憾の意を高々と表明し半期を振りかざそうぞ!


と、熱くなるくらい気持ち悪い話である。


先で述べた受動と能動を平均化するためなら考えうる話だが、男子厨房に入るべからず、男子チョコレート買うべからず、の良き日本文化というか魂は忘れてはならないのではなかろうか?


全ての麗しきお姉さん達に僭越ながらご挨拶さて頂きます。

私を筆頭とした、全国のナイスガイはこの日に限り視野が二倍になり、いつ何時でも受け取る準備は出来ています。
どんな方からどんな物を頂いても涙ポロリとなる事間違いないので、勇気を出して意中の男子もしくは僕に是非ともアタックしてみてください。