いけない。
堰を切って感情が溢れてしまう。

今まで秘めに秘め、呼吸を止める様に押し殺してきた物が徐々に溢れてきているのがわかる。


懐かしさがまとわりついて、甘酸っぱさが俺を駄目にする。

酷く単純に作られてしまった現代人に物事を端的に伝えてしまう現代。
踏ん張ってた足が剥がされる。

タイムマシンが2人。
連れ去られたら戻れるか?


足元から掬われちまう。
こんなスカスカな体じゃ。
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夜は閑散と昼は喧騒に包まれる。


仕事の行き帰りに小説を読むことが板についてきた。
一週間いかないペースで一冊、朝な夕なの通勤1時間は俺の貴重な勉強タイムだ。


俺の中で音楽も映画も本も作者の真髄に迫る事は極めて難しいと思う。
決まった方程式では解けないし、仮に解けたとしても答えがそうとは限らない辺りが最大の魅力だと思う。

同じ映画や本、音楽を共感した人間と話すと自然に場が盛り上がるのはそれが原因じゃないだろうか?


以前もこんな話をした気もするが、芸術作品を評論するっていうのは凄く酷いはずだ。
世界中の人間の中で誰も見向かない物なんて存在しないし、逆に誰からも愛される物もない。
他人が疎ましく、関心無き目で見てしまう物を愛おしく、潤んだ目で見る俺もいる。

感性や知性、半生や個性を闇雲に人に押し付ける事は綺麗ではない。
周りに着いてきてくれる物だけを愛せば良いってもんでもない。



やりたくない音楽をやってて何になる?
最後まで突っ走るなんてダセェ事は言わない。
俺たちの音楽が、誰かの為になるかなんて考えはとうに捨てた。
俺たちの音楽は俺たちの為にある。



自己陶酔。


エゴが俺の原点だ。
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オリンピックはみなさん楽しみましたか?

一喜一憂しながら『○年振りの快挙!』『○大会連続メダル!』とかの見出しに心踊り、弾みましたか?

俺は物凄く楽しみました。
悔しい場面や涙な場面、感動や身震い、まさに喜怒哀楽を感じました。

で、スポーツ選手が格好良くてたまんね。


犬の散歩で『今日は歩いたぜ。』とか思ってる俺も可愛くて仕方ないけども、やっぱり高校時代の自分を思い返すと涙も出ないくらいにもろい体になってしまったと思う。

今は、何をするにも重力が邪魔だなんて思ったり、局地的に俺の周りだけ空気が薄いんじゃねぇかなんて思ったりもする。

全盛期はいつか?
なんて質問には胸を張って『高校時代だ。』と言いきっちゃうのはかなりダサい。


何をするのも金がかかるというのは、いかがな物だろうか?
だから俺みたいなワーキングプアー野郎は太る事も無く、鍛えることもなく、だらしなく血圧が上がって、体脂肪も上がって、思考能力が下がる。
だから、何か続けてれば今頃何かのプロなんかになれてたりしたかな?なんて甘い考えが浮かんでしまうのさ。


北京五輪も閉会したことだし、また四年後に楽しみが出来たよ。
その前に冬季オリンピックとワールドカップがあるわな。