2017年9月26日。
先日もご紹介した、筆者の皇族の御陵訪問の旅に一段落がつきました。
京都府内にある天皇の陵を全て訪問し終えたのです。
~親王や~宮などの陵墓もできる限り訪れていますが、かなりマニアックになるので割愛します。
背景
まず筆者は特に天皇家に思い入れがあるわけではなく、純粋に歴史好きとして日本の王家であり形ばかりとはいえ日本という国の中枢を担ってきた天皇家に興味があります。
楠木親子の別れの場所や正成が忠節を尽くした天皇のお墓を取り上げたりととらえ方によってはアッチ系にも思えなくもないブログを書いたりもしていますが、筆者はただの歴史好きです。
誤解なさらないでください。何かの思想を広めるつもりはございません。
天皇について
1代目神武天皇から現在の125代目の今上天皇に至るまで、我が国の天皇家は一度も絶えずに続いた「王家」としては世界最長の歴史を誇ります。まあ本当に初期の天皇は記録に乏しく、一人一人の治世がそれはとんでもなく長かったりと実際はどうだったのかは分かりませんが、それを差し引いても世界一の伝統を誇る家であることは間違いありません。
一部の例外はありますが、日本の歴史は天皇の「日本の最高権力者」という立場が上手く利用される形で動かされてきました。
源頼朝に始まる将軍による武家政治も形上は「天皇の配下」による政治。
戦国大名が夢見た「京に上る」は「天皇に認められる」以外のなんでもありません。
そしてつい72年前「天皇のために」第二次世界大戦を戦っていたのが日本軍でした。
政治や戦争のブログではないのでここまでにしておきますが、とにかく天皇家は興味深い!
天皇陵について
今では日本の首都は東京ですが、僅か150年ほど前からです。
大正天皇以降は関東に陵墓が造られています。
また、淳仁天皇・崇徳天皇・安徳天皇は政治的事情により遠隔地の陵墓に葬られました。
これらを除けば、天皇の陵墓は全て近畿地方にあります。
観光地としての魅力はほぼ皆無ですが、手軽に歴史に触れる機会として近畿圏の方には少しだけオススメしておきます。仮にも天皇が眠る場所なので空気が落ち着いていて気持ちいいです。神社仏閣ファンなら分かる、あの雰囲気です。しかもタダ。格調の高いお散歩とでも言うべきでしょうか。
では、そろそろ本題へ。京都の陵墓で印象に残ったものを紹介します!
1. 桓武天皇柏原陵(京都市伏見区)
第50代天皇。784年に長岡京、794年に平安京へと遷都しました。
平清盛に代表される「桓武平氏」の祖先として有名ですが、おそらく天皇の中では日本の歴史への影響はトップクラスです。今の「京都」があるのはまさに桓武天皇のおかげです。
御陵はやはりそれに相応しい広大な敷地と圧倒的な開放感があり、陵墓の中でも一等地といえます。
筆者が京都で最初に訪れた陵墓のひとつです。
2. 天智天皇山科陵(京都市山科区)
第38代天皇。大化の改新を行い、失墜していた天皇の権威を復活させた中大兄皇子ですね。
お手伝いをした中臣鎌足の子孫は、日本随一の貴族藤原氏として長きに渡り栄えます。
桓武天皇と並ぶスーパーマンです。陵墓も琵琶湖疎水の南の自然豊かな地域にあります。
付近の京都市営地下鉄・京阪電車の「御陵駅」は言うまでも無く山科陵に因んでいます。
3. 淳和天皇大原野西嶺上陵(京都市西京区)
第53代天皇。先ほどの桓武天皇の皇子です。細かい話をすると長くなるので省略になりますが、皇位継承争いを回避するため大変な苦労をされた天皇です。遺言通り「小塩山」という京都市西部の山上に葬られました。しかしその陵墓ときたら京都市内はおろか全陵墓の中でも屈指の到達難易度を誇ります。
麓のバス停まで出るだけでも一苦労な上、そこから京都府道141号線で7キロ登ります。危険な大冒険なので余程のマニアでない限り絶対にオススメしません。
4. 一條天皇圓融寺北陵・堀河天皇後圓教寺陵 (京都市右京区)
第66代及び第73代天皇。石庭で知られる龍安寺の裏にある朱山に葬られました。
一條天皇の皇后定子には清少納言が、中宮彰子には紫式部が仕えており、また藤原道長ら藤原氏が最盛期に達していました。そういう意味では平安時代を代表する天皇かもしれませんね。
一方の堀河天皇は賢帝として知られる人望の厚いお方でした。父の白河天皇が院政を始めたことで次第に藤原氏の影響力は衰えていき、新時代への一歩となりました。孫には保元の乱を戦うことになる崇徳・後白河両天皇がいます。
この陵墓はとにかく眺めが素晴らしいです。天皇陵は基本的に南向きですが、この見晴らしはさすがは天皇、といったところですね。また、これまで述べたようにそれぞれ藤原氏の栄華の極みと衰退の前触れを背景に生きた二人がこうして近接した墓を構えるのは運命のいたずらでしょうか。
続きはまた今度です。