マイフェイバリット―とある美術の検索目録/所蔵作品から
会場に入った瞬間、観客の目の前にはマルセル・デュシャンの≪泉≫が展示されている。便器が置いてあるだけの作品で、キャプションの分類項目には「レディーメイド」と表記されている。デュシャンが考案した既製品そのままを作品にするという方法である。その背景にはダダイズム運動が深く関係している。20世紀初頭に起きたダダイズム運動は既成文化を否定し、新しい芸術を見つけ出そうと様々な実験的作品を作りだした。当時のデュシャンもダダイズムの精神の下で様々な試みを行い、≪泉≫はその中でも代表的な作品だ。このような前衛的な作品は規定の分類に収まりきらない。美術作品は、技術の発達や時代の変化で多様な形態が生み出されているのだ。
京都国立近代美術館では美術作品の分類を、日本画、油彩画、水彩画、素描、版画、彫刻、陶芸、金工、漆工、木工、竹工、ガラス、染色、人形、ジュエリー、書、写真としている。そして以上の分類に属さない作品を「その他」と呼んでいる。本展覧会ではコレクション作品の「その他」にスポットライトを当てて紹介している。私は、異彩を放つその言葉に期待と不安を感じる。一体どんな面白い作品が待っているのだろうかという気持ちと、それらを作品として受け入れられるのかという気持ちだ。
本展覧会は、通常のコレクション展のようにガラスケース越しに行儀よく並んだ絵画や工芸品などをゆったりと眺めるという雰囲気ではない。観客の気持ちは前傾姿勢で作品と向かい、たくさんの質問を投げかけて、様々な見方をしている。私の抱いていた期待と不安は大勢の観客にも当てはまるようである。
新しい時代を作るには、今までと同じ枠内で考えていては意味がない。「その他」という言葉には、誰も作ったことのないものを生み出す無限の魅力が隠されている。「なにを伝えたいのだろう」「一体これはなんなのかしら」作品の前でささやき合って首を傾げている観客は少なくなかった。しかし近い将来この美術館にその他から一種の分類が増えるのかもしれない。私も、デュシャンの様にまだ誰も見たことのない作品を作りたいと思った。


京都国立近代美術館では美術作品の分類を、日本画、油彩画、水彩画、素描、版画、彫刻、陶芸、金工、漆工、木工、竹工、ガラス、染色、人形、ジュエリー、書、写真としている。そして以上の分類に属さない作品を「その他」と呼んでいる。本展覧会ではコレクション作品の「その他」にスポットライトを当てて紹介している。私は、異彩を放つその言葉に期待と不安を感じる。一体どんな面白い作品が待っているのだろうかという気持ちと、それらを作品として受け入れられるのかという気持ちだ。
本展覧会は、通常のコレクション展のようにガラスケース越しに行儀よく並んだ絵画や工芸品などをゆったりと眺めるという雰囲気ではない。観客の気持ちは前傾姿勢で作品と向かい、たくさんの質問を投げかけて、様々な見方をしている。私の抱いていた期待と不安は大勢の観客にも当てはまるようである。
新しい時代を作るには、今までと同じ枠内で考えていては意味がない。「その他」という言葉には、誰も作ったことのないものを生み出す無限の魅力が隠されている。「なにを伝えたいのだろう」「一体これはなんなのかしら」作品の前でささやき合って首を傾げている観客は少なくなかった。しかし近い将来この美術館にその他から一種の分類が増えるのかもしれない。私も、デュシャンの様にまだ誰も見たことのない作品を作りたいと思った。
(大塚)


京都国立近代美術館にて開催(終了)
國府理展
部屋の中央には革のソファがあり、壁には松葉杖が猟銃のように1本ずつ掛けられている。私は外から部屋を見た時、そこが果たしてギャラリーなのかどうか、一瞬疑った。ギャラリーというよりも、整頓された書斎のように見えたからである。しかし、部屋に入って見ると、ソファと松葉杖は面白い構造をしていることに気づいた。ソファの底にはキャスターのようにタイヤが取り付けられており、2本の松葉杖のうち一方にはのこぎりが、もう一方には電動ドライバが取り付けられていた。さらに、ソファと電動ドライバー付きの松葉杖は共に操作が可能である。ソファは座って右側の手元にあるレバーを操作すると動く仕組みになっており、電動ドライバー付きの松葉杖は持ち手につけられたスイッチを押すことでドライバーが作動する。
これらの作品は、國府の友人である作家の永井英男のために制作されたものである。永井は2006年事故に遭い、重傷を負った。それでも作品制作に対する意欲を失わない永井に対する、國府の冗談交じりの激励がこの作品には強く表れている。
例えば松葉杖の作品は、壁にかけられていることもあり、一見取り付けられた工具の方に注目してしまう。しかしよく考えるとこれでは松葉杖本来の機能である歩行の補助ができない。生活の補助をするどころか、作品制作をあおる松葉杖の存在は、怪我の悲観的なイメージを前向きなイメージへと転換させているように感じた。ソファの作品は、もはや車いすという存在として、怪我人に宛てられた作品であると連想させる要素はなく、むしろ怪我人への配慮を無視して、快適さをひたすら追求したような構造になっていた。実際に座り、操作した感想はただただ「感動」と「快適」である。
永井のこれまでの作品に対する印象は純粋に面白おかしいものである。どの作品にも特有の迫力があり、永井自身の作品制作に対する思いが伝わってくる。今回國府が制作した作品はそうした永井にふさわしい作品とも言える。私も作品の中で自然と内に秘められた思いがあふれ出てくる作品を作っていきたい。

これらの作品は、國府の友人である作家の永井英男のために制作されたものである。永井は2006年事故に遭い、重傷を負った。それでも作品制作に対する意欲を失わない永井に対する、國府の冗談交じりの激励がこの作品には強く表れている。
例えば松葉杖の作品は、壁にかけられていることもあり、一見取り付けられた工具の方に注目してしまう。しかしよく考えるとこれでは松葉杖本来の機能である歩行の補助ができない。生活の補助をするどころか、作品制作をあおる松葉杖の存在は、怪我の悲観的なイメージを前向きなイメージへと転換させているように感じた。ソファの作品は、もはや車いすという存在として、怪我人に宛てられた作品であると連想させる要素はなく、むしろ怪我人への配慮を無視して、快適さをひたすら追求したような構造になっていた。実際に座り、操作した感想はただただ「感動」と「快適」である。
永井のこれまでの作品に対する印象は純粋に面白おかしいものである。どの作品にも特有の迫力があり、永井自身の作品制作に対する思いが伝わってくる。今回國府が制作した作品はそうした永井にふさわしい作品とも言える。私も作品の中で自然と内に秘められた思いがあふれ出てくる作品を作っていきたい。
(浅田)

ART SPACE NIJIにて開催(終了)
大田ゆら展 -とどまる領域-
作品の前に立つと、足元には観客が絵に触れないように境界線が引かれている。その線は何層にもマスキングテープが重ねられカラフルにあしらわれている。シンプルな描写の作品とテープの色合いがマッチしていて作者の遊び心が感じられる。
ギャラリーいっぱいに≪Hito≫シリーズの大小様々なキャンバスが展開しており、どれも生活のある一部が描かれている。買い物をしている家族やパレードを見物している通行人。それらはどれも穏やかな日に垣間見る人々の戯れのようだ。すべての絵が同じような視点から描かれており、それはまるで幼い頃に遊んだドールハウスを覗きこんでいるようだ。とてもかわいくシンプルでありながら、賑やかさを感じる。
しかし、一方でキャンバス全体を遠くから眺めると違う景色が見えた。この絵の周辺は永遠にまっさらな平地が続いているのかもしれない、という不安を感じ始めた。晴天とも曇りともいえない情景は、人々の暖かい気持ちと冷たい気持ちとその間とが入り交じった温度のように思えた。
「一瞬たりともとどまることのないひとの心の中を、とらえてみたい。」その言葉どおり、作者の手で切り取られた風景は、キャンバスの中で動きを止める。それでも、その中にいる人々の心はひたすらに動くことをやめない。顔の見えないひとりひとりの人は一体何を思い、何に向かっているのだろうと考えさせられる。この展覧会では何気ない風景を見せられることで、観客は他者の無意識を意識せざるを得ない。生きている人すべてが持っている心の揺らぎは、二つと同じものはない。そんな作品たちに囲まれると私は心地よい空虚感を覚えた。

ギャラリーいっぱいに≪Hito≫シリーズの大小様々なキャンバスが展開しており、どれも生活のある一部が描かれている。買い物をしている家族やパレードを見物している通行人。それらはどれも穏やかな日に垣間見る人々の戯れのようだ。すべての絵が同じような視点から描かれており、それはまるで幼い頃に遊んだドールハウスを覗きこんでいるようだ。とてもかわいくシンプルでありながら、賑やかさを感じる。
しかし、一方でキャンバス全体を遠くから眺めると違う景色が見えた。この絵の周辺は永遠にまっさらな平地が続いているのかもしれない、という不安を感じ始めた。晴天とも曇りともいえない情景は、人々の暖かい気持ちと冷たい気持ちとその間とが入り交じった温度のように思えた。
「一瞬たりともとどまることのないひとの心の中を、とらえてみたい。」その言葉どおり、作者の手で切り取られた風景は、キャンバスの中で動きを止める。それでも、その中にいる人々の心はひたすらに動くことをやめない。顔の見えないひとりひとりの人は一体何を思い、何に向かっているのだろうと考えさせられる。この展覧会では何気ない風景を見せられることで、観客は他者の無意識を意識せざるを得ない。生きている人すべてが持っている心の揺らぎは、二つと同じものはない。そんな作品たちに囲まれると私は心地よい空虚感を覚えた。
(大塚)

shin-biにて5月23日まで開催(日)