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円と方

 今回の展覧会「円と方」では、芸術作品における「円形」と「方形」の形状がもたらす表現の違いを示す事がテーマとなっていた。そのため、展示された作品は、円形と方形の2つに分類され、円と方の違いを見比べることができる展示形式となっていた。例えば、絵画と焼き物が並べられた展示では、絵画を方形、焼き物を円形としていた。2つの異なる形状にそれぞれ同じモチーフを描いた場合、どのように表現が異なるのかについて解説されていた。また、同じ素材で作られた立体作品の場合は、形状そのものがもたらす表現の違いが解説されていた。
 今回の展覧会の核とも言える八木一夫の作品、《円》と《方》は同じ素材から成る立体作品である。この2つの作品を見て私が初めに思った違いは、単純に角の有無であった。しかし、2つの作品を見比べているうちに、2つの作品の違いが、単純に形の違いだけではないという事に気づいた。《円》は不安定ながらも立てられており、まるで人が描いたような動きのある円を表現しているように感じられた。それに対して《方》は、寝かされるように置かれており、静的なイメージを表現していた。展覧会の説明でも挙げられていたが、ここで円と方の違いとはまさに動と静であることに私は気づいた。
 また、円には中心という概念が強くあり、描かれている対象に注目させる傾向がある。鹿子木猛郎が描いた《海辺》と《日本海(竹野ノ海岸)》を比べると、そうした円の特徴がよくわかった。どちらも海の風景を描いた絵画だが、キャンバスが円形である《海辺》はキャンバスが方形である《日本海(竹野ノ海岸)》と比べて海に焦点を絞ったような印象が見られた。円と比べて方には、中心という概念があまりないため、作品は全体を見渡した時の美しさを表現する傾向がある。宗教画に描かれている光輪も、人の意識を仏やキリストに向ける働きがあるという。
 作品における円と方は、単純に形の違いだけでなく、作品の内容にも大きく影響を与えている。英語の「squaring the circle(円を四角にする)」という言葉が全く不可能であるという意味を表すように、その隔たりは大きい。だからこそ、もう一度2つの形の意味を考え、芸術のあらゆる仕組みについて見つめ直すべきではないだろうか。
(浅田)



M.jam-円と方M.jam-円と方裏



京都市美術館にて開催(終了)

中山和也展「時計回りに90度回転」

ギャラリストはつぶやく。

ここは外だし、埃やゴミが多いんです。

でも、たくさんのポスターを掲示しているので、なかなか掃除が出来なくて。

1年くらいたってしまいました。 そう、ちょうど1年。

「そろそろ、拭きたい。」


ギャラリー射手座は、人通りの多い三条通りから地下に続く小さな階段が入口だ。降りようとすると全国の展覧会ポスターが壁いっぱいに貼られているのが印象的だ。その階段を下りると、左手にはたくさんの展覧会DMが置かれたラックと水廻りがあり、正面には小さな事務所、右手には真っ白なギャラリースペースがある。それがいつもの様子だが、今回は違う。
まず、ギャラリーに入ろうとすると、階段の壁にはなにもない。すべてのポスターが剥がされている。そして、不思議に思いながらも階段を下りると、部屋がすべて入れ替わっていることに気がついた。階段のポスターが水廻りの壁に貼られ、本来の事務所スペースにDMラックが移動し、事務所のデスクや書類全てが広いギャラリースペースに引っ越している。部屋の中身だけが90度時計方向に移動しているのだ。だから入ったとき、階段にはギャラリースペースの様に真っ白なのかと納得した。
なにか、作品が置いてあるのかと、私が探していると、ギャラリストはこのように語った。本展覧会に具体的な作品はない。作者は、展覧会最終日に階段の壁面を掃除することが目的で、それが終わったらすべての部屋も元通りにする。ちょうど1年前にもポスターを剥がして掃除をしたことを話したら、作者は「では、1年経ちましたし今年もやりましょうか」と突然の提案をされた。
その話を聞いて私は驚いた。大掃除を一週間かけてやっているようなものではないか。大掃除を展覧会にした作者に私はとても強いインパクトを受けた。私は観光客がひしめき合う三条通の地下で大掃除を見に行くというめったにできない体験をしたことで、彼の作家活動にとても強い興味がひかれた。

(大塚)



立体ギャラリー射手座にて開催(終了)

田中幹人 PHOTO EXHIBITION 〜あぶない所へ行ってみよう〜

M.jam-田中2

 人の身長程ある大きなモノクロ写真に写されているのは、普段危険で人が立ち入る事のない高い場所や水辺。そこに作家が命綱無しで登ったり、泳いで行ったりしてポーズをとっている姿が写されていた。危険な場所で撮影されたジャンプや片足立ちといった作家のポーズは、無機質な風景のイメージを面白いイメージへと変えていた。
 私は最初に写真を見た時、これは合成なのではないかと思った。しかし、写真の横にはタイトルと共に撮影したその場所への行き方が丁寧に書かれており、中には「見つかると怒られます」という面白い記述もあった。ギャラリー内には、実際に危険な場所へ登る際に使用したロープまで展示されていた。誰もしてくれそうにない危険な行為を、作家は実際に約10年間続けてきたのである。
 水の上で撮影された写真は、特に面白かった。これは、作家本人が杭まで泳いで登り、そこから空中を歩いているように撮影された作品である(写真参照)。おそらく現実であれば、次の瞬間に体は水の中へと落ちるだろう。写真の横の解説の最後には「必ず濡れます(落ちます)」と書かれており、思わず鑑賞者の笑いを誘う。他にも現在使われていない観覧車の上等、不安定な足場で撮影された写真を見ていて、必死でポージングをしている作家の姿が、今でも強く印象に残っている。
果たして、これらの作品には何の意味があるのだろうか。作家自身はこの作品にコンセプトを求める事を避けており、鑑賞者にはただ面白いと思ってもらえることを望んでいる。むしろ、深い意味付けをしないからこそ面白さが引き立つのではないだろうかと思う。危険な場所に行くという行為は、「馬鹿だなあ」という思いを私達の頭に浮かばせる。しかし、そうした危険な場所へも行けるような自由さに対して、私達は無意識に憧れを抱いているのかもしれない。
(浅田)

M.jam-田中1





$M.jam-田中幹人DM
同時代ギャラリーにて開催(終了)