昨日の日曜日、休暇が終わり久ぶりにここ南関東までやってきましたが、TV報道の通り関西と比べて随分涼しくて驚きました。この調子だと、米不足が再来するかもしれませんね。8月の残りに日差しが戻ればいいのですが。
関西は夏空
さて、前回までホワイトカラーの生産性が上がらない原因について考えてきました。
キットPMは、その原因の一つとして、日本の歴史的な社会構造から来る「村社会の論理」があると考えました。
つまり、稲作の作業を取り上げてみると分かるように、労働集約的で、繰り返し作業であり、基本的に毎年決められた作業を行えば、自然環境に左右されるもののある程度の成果が約束されているという労働環境が数千年にわたって続いているわけです。
仕事のルールを決めてそれを実直に守って「体を動かす」ことで、誰もが一定の成果を得ることができれば、思わしくない結果が出たときに「体を動かしていないから」つまりプロセスに問題があったからという評価をすることになるのは自然です。
また、自然相手の仕事ですから、作業のタイミングは外部環境で決まってしまいます。今日やらなくてはいけないことは、何がなんでも今日中に終わらせる必要があるわけです。もしできなければそれは成果にマイナスで反映されることになります。
このような文化の中で培われた習慣は簡単に捨て去ることができないのは、容易に想像できると思います。
プロセスを重要視すること以外にも、ハイコンテクストなコミュニケーションの在り方や経験値への以上に高い評価(目上を大切にする)、決定しない(したくない)リーダーシップ、誰も責任を取らないシステムなど現代の社会で盛んに言われている日本人の弱点に通じるところがあります。
これが日本人の特性だからと居直って、グローバリストにおもねることなく我が道を行くという選択しもあるかと思いますが、欧米流のドライでロジカルでなくとも、もう少し日本のホワイトカラー、特に中間管理職以上が組織的な観点から何を考え、何をなすべきかを考えていくことが、これからの社会の成長のためにも必要になると思います。
では次に、そうなるためには何が必要かについて考えてみます。
欧米のように役割を明確にし、その範囲で責任を持ち自分の権限を行使できるような、トップダウンの社会システムに変えることがいいのでしょうか?
今の日本の教育の在り方をみていると、そのような社会の到来を描くことはとても難しいように思えますし、またそのような社会が本当に効率がいいとは限らないような気もします。
次回は、効率とは何か、どのような社会が効率的と言えるのかについて、考えを深めていくことにします。
