先日、スーパーに、買い物に行きました。
そこでトイレに入っていたら、外で子どもの泣き声が聞こえて来ました。
ギャーギャーギャーギャー!ギャー!キャー!もう泣き声ではなく悲鳴です。
そして僕がトイレを出ると、その子は母親に壁に押し付けられて大声で泣いていました。
僕はその子と母親をジッと見ました。
そうしたら、その母親は、その娘(小学校3~4年生くらい)を階段の踊り場に連れて行き
また怒りまくっていました。その子が、お母さんごめんなさ~い!と叫んでいます。
それなのにギャーギャーキャーキャーゴメンなさーい!と叫び声が聞こえて来るのです。
そして、お母さん許して~!お母さんゴメンなさ~い!ギャー!キャー!とです。
僕の気持ちは、もう止めてあげたい。いたたまれないのです。その場に仲裁に入りたい。
でもそんなことをすると、その母親の怒りは、家庭の中でその娘に爆発してしまいます。
そこで僕は、これを止めるには、警察に連絡をするのか、警備員に言うのかを考えるのです。
だけどやはり、他人が介入してしまうと、その怒りが家に帰って、その娘に向くのです。
他人に止められ自分を否定された怒りも増して、その娘に襲いかかってしまうのです。
このもどかしさ、自分の無力さ、この苦しさ、どう表現していいのでしょうかね。
それにこの話の根本は、そんな母親が悪いとか、そんな上っ面の話ではないのです。
その母親に滞留してしまっているストレスです。その怒りが元凶なのです。
母親は0才児くらいをおんぶしています。
ですから母親も母親なりに、自分は一生懸命に育児をしている正義なのです。
ただその怒りの出し方が、そのような一生懸命な母親を困らせる母親の言うことを
きかない者は許さない的な出し方、その連鎖なのです。
ですから、この母親をどうにかするでは、済まない問題なのです。
その母親の抱えるストレスと連鎖をどうするのかです。
今、泣かされている少女も、いつか同じことをしてしまう可能性すらあるのです。
はっきり言って、簡単なことではありません。
本当に怒っている相手先を感じなければ治まりません。
連鎖にも気づけなければ、変れません。
そんな中、僕らにできることって何なのだろうか。
知らぬが仏か。見て見ぬ振りか。見もしないのか。
良いも悪いもないのか。全体でゼロなのか。葛藤は尽きないのです。
それでも自分は、どうしたいの
コツコツと、コンサルティングを続けますか。
はぁ~、なんだか調子出てないぞ~。すどうゆうじ
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