たとえば、教育水準。
近頃のそれは、置くとして、まずは江戸時代。
庶民の識字率は、世界トップレベルでした。長屋の八つぁん、熊さんだって、仮名くらいは読めた。
それって、実はかなりすごいことらしい。
瓦版は刷りまくるし、浮世絵は庶民の娯楽だった。そんなに紙が使われるなんて、これまたすごいこと。
江戸の日本は、「超情報化社会」だったのだ。国際的に観れば。
なぜ、そうなったのだろう。
国民性? 風土? 偶然?
いやいや、それじゃあつまらない。
誰かが、そうなるように仕向けたんじゃないでしょうか?
仮名文字は、自然に発生したものなのか?
どこかの誰かが、「発明」したんじゃないのか?
紙の供給を支えた生産集団が、文化の発展を支えていたんじゃないのか?
それは、単に食うためにやっていたことなのか? 国の礎を築くために、取り組んでいた「国家事業」じゃなかったのか?
そういうところに、「天神」のネットワークが活躍していたのじゃないかと、想像するのですねえ。
だからこそ「学問の神」菅原道真公と、崇められる。
もしも、江戸で活版印刷が発明されていたら、日本は開国を待たずして、超文化国家に成り遂げていたでしょうね。
そのときは、漢字というものを捨てていたかもしれません。活版には、不向きですから。
そんな「タラレバ」を、もやもやと想像してみるのです。