光秀は、なぜ信長を討たねばならなかったのか? | 「藍染 迅(超時空伝説研究所改め)」の部屋

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小説家ワナビーの「藍染 迅(あいぞめ じん)」です。

書籍化・商業化を目指し、各種コンテストに挑戦しながら、カクヨム、小説家になろう、エブリスタ、アルファポリスなどに作品を投稿しています。

代表作は異世界ファンタジー「「飯屋のせがれ、魔術師になる。」。

ふと自らのブログを見渡すと、昨年の9月から「超時空伝説」を書いていません。
「超時空伝説研究所」と名づけておいて、このていたらくではまずいでしょう。

そう思いまして、伝説ネタをひとつ物してみます。

昨年の流れが、光秀にまつわる話になっていたので、そこから再スタートしてみましょう。

いまさらですが、光秀が信長を討った動機には、

  • 怨恨説
  • 室町将軍家擁護説
  • 朝廷擁護説
  • 土岐氏再興説
  • 野望説
  • 思いつき説
  • 秀吉・家康・朝廷などの黒幕説

などが挙げられてきました。

当研究所としては、光秀の出自を朝廷の臣と考え、広い意味での「朝廷擁護説」を唱えようと思います。

とはいえ、「信長が天皇になり代わろうとしていた」とか、「朝廷を滅ぼそうとしていた」という短絡的な状況ではなかったと考えます。

信長が天皇家にとって危険であった、その理由とは?

ずばり、「自由経済と資本主義」の実践でありましょう。

「楽市楽座」、「撰銭令」、「関所撤廃」はいうまでもなく、自由経済、貨幣経済の基礎を築く政策。
比叡山、石山本願寺、伊勢長島は、自由な商業流通を妨げる勢力であったからこそ、徹底的に殲滅した。

その軸で信長の政策、戦を眺めると、なぜこの相手と戦わねばならなかったのかが納得できるのです。

さて、天皇家と朝廷ですが、「自由経済と資本主義」を恐れるのは当然のことでありましょう。
王権の基礎となるのは、土地支配でした。

人々は土地に縛られ、土地からの実りによって富を形成していた。
資本主義とはその土地を売買の対象とみなすものであり、王権の根拠を否定するものなのです。

光秀は日本で初めて、信長の真意に気付いた人間だったのかもしれません。
貨幣経済さえ未発達の状況において、資本主義を発想する信長の天才を、朝廷の貴族たちは理解することができなかったことでしょう。

適当に恩賞や、位を与えておけば、おとなしくしているだろうと高をくくっていた。

光秀ひとりは、やがて必然的に訪れるであろう「王家の終焉」をビジュアライズすることができたのです。

「恐ろしいことがおきる……」

恐怖に震え、悩みもだえた挙句、光秀は単独で信長を闇討ちにすることを決意した。
朝廷に告げても、信長打倒の必要性を理解してもらえなかったからです。

なんだか映画「アマデウス」を髣髴とさせるストーリーであります。
天才を理解する才能を与えられた自分に苦悩する、不遇の秀才。

光秀は、サリエリであった。

これはすべて想像の産物である。