パートを分けて、それぞれに著者が担当分けしてレポートを書いています。
そのせいか、散漫な印象を受けました。どうしても、一つひとつのテーマが掘り下げ不足になっており、かつ、全体の統一感がありません。当たり前ですが。
内容も、斬新とは感じませんでした。
巻末に「惟任退治記」原文と現代語訳が掲載されているのが、参考になった程度か。
「~退治記」は、吉田兼見が「太平記の類なり」と評しているように、著者の大村由己が語り物として読み聞かせるものだったようです。全体に美文調で大げさであり、儒教的な倫理観が投影されているといっていいでしょう。
太平記を引き合いに出しているところをみると、そもそも文字を読むのが苦手な、教養の浅い人間を相手に作られた物語ということになります。史実を元にしつつも、「創作」だといわれていた訳ですね。
そうなると、どこが事実で、どこからが虚構なのか、同時代の教養人はともかく、現代のわれわれには判別が難しいところです。そのままうのみにするのは、危ないということになるでしょう。
とはいえ、「Friday」ばりに即時性のあるレポートだった筈なので、他文献での検証を前提として、具体的に事実関係を確認していければ面白い結果が出るかもしれません。
謀反の動機など、主観的な事情については当てになりそうもありません。
もう1冊の本は、PHP文庫刊「日本史の謎は『地形』で解ける」(竹村公太郎)です。
こちらの方が、前者よりはるかに興味深くありました。
展開されている説に全て賛同するという訳ではありませんが、地形をヒントに過去の事情を推定する発想が、なかなか面白い。ただ、江戸時代の話をするのに、縄文時代の地形を持ち出したりして、ちょっとずるいところもあります。
遷都の理由は、周りの木を使い切ってしまったからだ、などの主張は、よくまとまっていると思います。
一方で、信長の延暦寺焼き討ちの原因は、細い谷の地形が怖かったからだなど、底の浅い論法も多々見られます。
では、伊勢長島の一向一揆征伐=根切りのせん滅戦を、どう説明するのか?
水が怖かったとでも?
「皆殺しにする」などというレベルの戦い方は、そうするだけの必然性があってのことと思われます。
凄まじい労力と、味方の犠牲を伴う訳ですから。
延暦寺と長島に共通しているのは、相手が軍隊組織ではないというところ。
首領を倒しても戦が終わらないという点が、通常の戦と大きく異なります。延暦寺の場合は、攻略すべき「城」という対象物もない。
よって、片端から拠り所となる建物を焼き払うしかなかったのでしょう。
あくまでも戦術としての効果を追求した結果、あたかも残虐行為のように見える展開になったのだろうと考えます。
逆にいえば、それ以外の戦闘はせん滅戦ではなかったということになります。もともと、名のある大将以外の戦闘員は、有象無象なのであり、食い詰め者や渡り者、農民等が多数含まれていた筈です。
「烏合の衆」というやつです。
よって、戦の趨勢が不利になれば、勝手に逃げ出してしまう者が大半だったでしょう。織田家は職業軍人を仕立て、しかも親衛隊として精鋭化することによって、強い軍隊を維持していたものと思われます。
超時空小説的視点で本書を読むと、随所にキーワードが登場して、想像を掻き立てるものがあります。
「住吉神社」、「日枝神社」、「天神」、浅草寺の創建は飛鳥時代土師中知による、etc.
現代風にいえば「地政学」という観点で歴史を見直すのも、なかなか面白そうなことであります。
今後の課題と致しましょう。
これはすべて個人の読書メモである。