日本文化の特異性。もしも、狙って築いたものだとしたら……。 | 「藍染 迅(超時空伝説研究所改め)」の部屋

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小説家ワナビーの「藍染 迅(あいぞめ じん)」です。

書籍化・商業化を目指し、各種コンテストに挑戦しながら、カクヨム、小説家になろう、エブリスタ、アルファポリスなどに作品を投稿しています。

代表作は異世界ファンタジー「「飯屋のせがれ、魔術師になる。」。

たとえば、教育水準。
近頃のそれは、置くとして、まずは江戸時代。

庶民の識字率は、世界トップレベルでした。長屋の八つぁん、熊さんだって、仮名くらいは読めた。

それって、実はかなりすごいことらしい。

瓦版は刷りまくるし、浮世絵は庶民の娯楽だった。そんなに紙が使われるなんて、これまたすごいこと。

江戸の日本は、「超情報化社会」だったのだ。国際的に観れば。

なぜ、そうなったのだろう。
国民性? 風土? 偶然?

いやいや、それじゃあつまらない。
誰かが、そうなるように仕向けたんじゃないでしょうか?

仮名文字は、自然に発生したものなのか?
どこかの誰かが、「発明」したんじゃないのか?

紙の供給を支えた生産集団が、文化の発展を支えていたんじゃないのか?
それは、単に食うためにやっていたことなのか? 国の礎を築くために、取り組んでいた「国家事業」じゃなかったのか?

そういうところに、「天神」のネットワークが活躍していたのじゃないかと、想像するのですねえ。

だからこそ「学問の神」菅原道真公と、崇められる。

もしも、江戸で活版印刷が発明されていたら、日本は開国を待たずして、超文化国家に成り遂げていたでしょうね。

そのときは、漢字というものを捨てていたかもしれません。活版には、不向きですから。

そんな「タラレバ」を、もやもやと想像してみるのです。