前回のお話
私の母は父の1歳下。
団塊の世代2期生で、
リアル『オールウェイズ3丁目の夕日』世代。
母の性格は大雑把な心配性。
料理を教えてもらう時に分量はいつも
「適当」
「こんくらい」
・・・・「それじゃ分かんなーい!」
幼き私はいつも叫んでいた気がします。
かと思えば、
私がどこか行く、何かするとなると
「大丈夫?」
「それできるの?」
と心配モード発動。
前向きに言えば心配してくれている。
後ろ向きに言えばネガティブ、信用されていない。
もちろん母には1㎜の悪意もなく
私のことを思ってくれてのことなのですが、
この母の「心配」が
長らく私の心を支配することになりました。
母は私が小学3年ころまでは専業主婦
その後兼業主婦になりました。
電話交換の資格を持ちながら
いくつかの企業に派遣され働いていました。
この資格は若い頃に取得したものですが、
かつて企業の始業時や休憩時の社内チャイムも
この交換手が手動で行っていたそうです。
そして私の母はこのチャイムを鳴らすときは
最後の一音を必ず間違える。
他部署からよくクレームが来ていたそうです(笑)
そんなおちゃめな一面もあります。
兼業主婦になってからはその培ったスキルを買われ、
パートながら新人教育を任されていました。
その研修のやり方はとても厳しく、
社会人になった今聞いても
・・・「一緒に働きたくない」
我が母ながらそう思ってしまいました。
でも仕事というものに真摯に、
プライドを持って向き合っている姿は素直に
カッコイイ
退職した今でもそう思っています。
母の性格は堅実派。
我が家は経済的には決して裕福ではなかったので、
その堅実な思考が家計を支えるためには必要だったのだと思います。
ただその反面、
未知のことに挑戦、世間の目というものに非常に敏感でした。
「それ大丈夫なの?」
「できるの?」
「失敗したらどうするの?」
第一声が
「でも・・・」
から始まる母の反応はいつしか身に沁みついてしまい、
天真爛漫だった私の好奇心は挑戦することを
後回しにするようになっていました。
もちろんその時は私自身もそんなことは分かっていませんでしたが。
そして現実的な思考は言葉の節々にも表れていて、
求めている・いないにかかわらずもらうアドバイスはいつも正論。
そして共感や褒められることは極端に少なかったように思います。
また母自身の更年期や祖母の丸投げされた介護、
私もHSP特性がしっかり発動され始めた思春期が重なったこともあり、
人の機嫌・空気を気にし、
自分を追い込み、
自己肯定感の低い私が出来上がっていきました。
でも母は私を愛していなかったとは思いません。
むしろ愛情をたくさんかけてくれていたと思います。
ただその表現の仕方が不器用だった。
そしてその娘も例外なく愛情表現が不器用。
こういうことも遺伝ってするんですね(苦笑)
もちろん幼少期に植え付けられた低い自己肯定感には
この先かなりの長い間苦しめられることになります。
それでも私のルーツは
心配性で、
保守的で、
超現実的で、
それでいておちゃめ
この母であることは間違いないのです。
〘わたしの世界観4]〙~わたしの兄1
に続きます。
