20160314 | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

この部屋の中にいるヤツに会いたいのなら もっと、寿命をのばしてからおいで

・教育学研究第82巻2015志水宏吉40―51頁


○学歴に対する家庭環境の影響力


 国立大学、学費年額約54万円、私立大学文科系学部70万円、医学部歯学部300万円と学費でもいろいろある。

 家計所得と進学大学への進学率は、家計所得が年収200万円未満28.2%、600~800万円未満49.4%、800~1000万円未満54.8%、1200万円超62.8%。また年収差の効果は国公立よりも私立大での影響が大きい。親の経済状況が子の大学進学の決定に大きな影響を及ぼす。国公立か私立かの選択にも影響する。


 親の年収が高くなれば就職する高校生の数は低下する。年収200万円未満35.9%、1200万円超5.4%。


 社会移動は戦後開放的になったが、近年再び閉鎖的になっている。


 親の所得水準が子の学力に大きな影響を与えている。親の所得が高いと子が学校外教育を受ける余裕があると考えられる。ただし、親の能力・学力が高いから所得が高く、それらが子に遺伝されたとも考えられる。


○飛梅は紅か白か


 配流の際、道真を慕って都から一夜にして大宰府まで飛んだと伝えられる「飛梅」として伝えられている梅木は、白梅である。ところが、北野天満宮に、この木と同じ種として伝わる「紅和魂梅」と呼ばれる樹齢約300年の御神木があるのだが、こちらは紅梅である。


 道真邸宅は紅梅殿と呼ばれ、対して菅家累代の邸宅は白梅殿と呼ばれた。 多くの作品において、道真が「東風吹かば」の歌を詠んだのは紅梅殿でのことであったと伝えられる。紅梅殿は、清少納言も枕草子第二十二段、ものづくし、家の項に取り上げている。「いへは。このゑの御かど。ニ條あたり。一條もよし。すざぐ院。かも院。をののみや。すがはらの院。こうばいどの。あがたのみと。そめどの。れいぜい院。とう三條。こ六條。」なお、枕草子の章段分けは書籍によって異なることがある。(http://www.sap.hokkyodai.ac.jp/nakajima/waka/data/makura1.html


 道真失脚事件は平安時代の『拾遺和歌集』、『大鏡』、『宝物集』、鎌倉時代の『北野天神縁起絵巻』、『源平盛衰記』、『十訓抄』、『古今著聞集』、南北朝時代の『太平記』等に記されている。


 『拾遺和歌集』、『大鏡』、『宝物集』ではまだ道真の邸宅を「紅梅殿」と記していない。『北野天神縁起』のうち絵巻として最古のものとされるいわゆる承久本にはすでに道真邸宅に対して「紅梅殿」という呼称が用いられており、邸内から紅梅を眺める道真の姿が描かれている。詞書のみの建久本は未調査。時代は下るが1278年作『北野天神縁起』弘安本には「承相の御家は五条坊門、西洞院。めでたき紅梅ありければ、後人、紅梅殿とぞ名付ける」と記されている。


 奈良時代から白梅が先にあって、紅梅が平安時代に入ってから中国より渡来した事情もあって、平安時代の人々には新しい紅梅が特に好まれた。当時大陸先進文化の象徴でもあった梅を、遣唐使中止の建議を行った道真が好んだというのは不思議な縁だと思う。


 さて、「飛梅」は紅白いずれであるかという問いへの答えは、やはり「紅」である。道真公は白梅も愛でたのではないかとも思うが、飛梅伝説の形成過程の作品中ではすべて、「東風吹かば」の歌は紅梅を眺めながら詠まれたとされているからである。