馬琴は生活と創作に苦しみ、疲労と倦怠のうちに生きている老人である。もはや死を疎まず、むしろそこに、「無心の子供のように」安らぐことを夢見てさえいる。
「老人の心には、この時「死」の影がさしたのである。が、その「死」は、かつて彼を脅かしたそれのように、いまわしい何物をも蔵していない。いわばこの桶の中の空のように、静かながら慕わしい、安らかな寂滅の意識であった。一切の塵労を脱して、その「死」の中に眠ることが出来たならば――無心の子供のように夢もなく眠ることが出来たならば、どんなに悦ばしいことであろう。自分は生活に疲れているばかりではない。何十年来、絶え間ない創作の苦しみにも、疲れている。……」
彼は聡明だが、自尊心が強く、たとえば謙辞をそのまま額面通り受け取られると不満を感じるような性格である。また、そんな自尊心を恥じ、他人の無責任な評価に左右されない断固とした態度を持ちたいと思っている。彼は世間に生きる市井の人々の暮らしを「下等」と断じるような傍若無人さをもつと同時に他人の悪意に敏感な、気弱な人物である。彼は出版元の本屋からの原稿催促に脅かされ、弟子入り志願を断った男からの猛烈な非難に応じてしまう自らの情けなさに打たれる。また、世間の道徳と対立する芸術の矛盾を、安価な妥協によって切り抜けることに限界を感じ不安に苛まれる。彼にとって芸術は善美の統合だからである。
「それは、道徳家としての彼と芸術家としての彼との間に、いつも纏綿する疑問である。彼は昔から「先王の道」を疑わなかった。彼の小説は彼自身公言したごとく、まさに「先王の道」の芸術的表現である。だから、そこに矛盾はない。が、その「先王の道」が芸術に与える価値と、彼の心情が芸術に与えようとする価値との間には、存外大きな懸隔がある。従って彼のうちにある、道徳家が前者を肯定するとともに、彼の中にある芸術家は当然また後者を肯定した。もちろんこの矛盾を切り抜ける安価な妥協的思想もないことはない。実際彼は公衆に向ってこの煮え切らない調和説の背後に、彼の芸術に対する曖昧な態度を隠そうとしたこともある。
しかし公衆は欺かれても、彼自身は欺かれない。彼は戯作の価値を否定して「勧懲の具」と称しながら、常に彼のうちに磅薄する芸術的感興に遭遇すると、たちまち不安を感じ出した。」
そんな馬琴が創作活動をかろうじてつづけられているのは、彼が古今に比倫のない大伝奇を作りうるだろうという、はるか空から落ちてくる朗らかな鳶の声として示される「天日による保証」を信じているからである。
「馬琴は苦笑しながら、高い空を仰いだ。その空からは、朗かな鳶の声が、日の光とともに、雨のごとく落ちて来る。彼は今まで沈んでいた気分が次第に軽くなって来ることを意識した。
「しかし、眇がどんな悪評を立てようとも、それは精々、己を不快にさせるくらいだ。いくら鳶が鳴いたからといって、天日の歩みが止まるものではない。己の八犬伝は必ず完成するだろう。そうしてその時は、日本が古今に比倫のない大伝奇を持つ時だ。」
彼は恢復した自信をいたわりながら、細い小路を静かに家の方へ曲って行った。」
「日の光をいっぱいに浴びた庭先には、葉の裂けた芭蕉や、坊主になりかかった梧桐が、槇や竹の緑といっしょになって、暖かく何坪かの秋を領している。こっちの手水鉢の側らにある芙蓉は、もう花が疎になったが、向うの、袖垣の外に植えた木犀は、まだその甘い匂いが衰えない。そこへ例の鳶の声がはるかな青空の向うから、時々笛を吹くように落ちて来た。」
しかしそんな頼みの「天日の保証」も、疑わしく思われることがある。己の作品が拙劣かつ乱脈のように思われて筆が止まり、自信が揺らいでしまう。
「自分はさっきまで、本朝に比倫を絶した大作を書くつもりでいた。が、それもやはり事によると、人なみに己惚れの一つだったかも知れない。」
こういう不安は、彼の上に、何よりも堪えがたい、落莫たる孤独の情をもたらした。彼は彼の尊敬する和漢の天才の前には、常に謙遜であることを忘れるものではない。が、それだけにまた、同時代の屑々たる作者輩に対しては、傲慢であるとともにあくまでも不遜である。その彼が、結局自分も彼らと同じ能力の所有者だったということを、そうしてさらに厭うべき遼東の豕だったということは、どうしてやすやすと認められよう。しかも彼の強大な「我」は「悟」と「諦」とに避難するにはあまりに情熱に溢れている。
彼は机の前に身を横たえたまま、親船の沈むのを見る、難破した船長の眼で、失敗した原稿を眺めながら、静かに絶望の威力と戦いつづけた。
彼の芸術世界という「船」は、難破寸前で、救出される。それが作品末尾の唐突な回心である。孫の太郎が浅草の観音からの教えとして、「勉強しろ。癇癪を起すな。そうしてもっとよく辛抱しろ。」という言葉をもたらす。
馬琴の心に、厳粛な何物かが刹那にひらめいたのは、この時である。彼の唇には幸福な微笑が浮んだ。それとともに彼の眼には、いつか涙がいっぱいになった。この冗談は太郎が考え出したのか、あるいはまた母が教えてやったのか、それは彼の問うところではない。この時、この孫の口から、こういう語を聞いたのが、不思議なのである。
「観音様がそう言ったか。勉強しろ。癇癪を起すな。そうしてもっとよく辛抱しろ。」
六十何歳かの老芸術家は、涙の中に笑いながら、子供のようにうなずいた。
この時彼の王者のような眼に映っていたものは、利害でもなければ、愛憎でもない。まして毀誉に煩わされる心などは、とうに眼底を払って消えてしまった。あるのは、ただ不可思議な悦びである。あるいは恍惚たる悲壮の感激である。この感激を知らないものに、どうして戯作三昧の心境が味到されよう。どうして戯作者の厳かな魂が理解されよう。ここにこそ「人生」は、あらゆるその残滓を洗って、まるで新しい鉱石のように、美しく作者の前に、輝いているではないか。……
芸術家は、残滓を洗った新しい鉱石のような芸術作品という「人生の本質」を求めるべきだし、それが生存の根拠となりうる、とする。
馬琴においてはまだ、「天日の保証」は、持続されている。