130701 | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

この部屋の中にいるヤツに会いたいのなら もっと、寿命をのばしてからおいで

こんばんわ

おかげさまで体調回復しました


しかしまだ全身が痛いです

頭と内臓と筋肉もいたいです


『でたらめヒーロー』と『ロボティクスノーツ』はおんなじ話だな、とおもった

正義のヒーロー像、巨大ロボットが困難である

それはまっすぐには引き受けられることなく、なにかしらの迂回が必要だ

ヒーロー?ケッ!!と、一度悪態をつくことなく、ノルことは許されない

「現実」が邪魔をしに来る

人々の諦めが足を引っ張る

不可能な闘いを可能にするのが、選ばれた主人公の医学的な根拠ある特殊能力である!

その能力を使うと、心臓に強い負担があることが、そのうちわかる

でも、敢えて、痛みに耐えながら、それを選択することを決断する主人公

ヒロインが泣いて止める

制止を振り切る


『進撃の巨人』も似ている

ミカサ曰く、エレンが正気を取り戻す保証なんてないんだ、と気がつくけれど、今は私に出来ることをしよう、といいながら、恐怖に負けて思考を放棄する

あれでいいのかな、とおもった


巨大怪獣と闘うために、自らも巨大化して「巨人」と一体化することを選ぶ

ウルトラマンと同じだ

巨大ロボットとウルトラマンを繋ぐのが、ガンダムとナウシカとエヴァである

全部知らないので読む・観るべきだなとおもった


戦後日本は、米国という巨大ロボットに乗っている

空から降ってきた美少女が押しかけ女房になってどたばたコメディを繰り広げる終らない日常を演じるのが『うる星やつら』であり、押井守は『ビューティフルドリーマー』においてその「一国平和主義」というブタの安寧が米国という巨大な亀の上に成立している欺瞞を暴いてしまった


巨人というのは、政治的主体である

壁の外に出て闘うべきだ、とエレン=悪魔ちゃんは言う

闘わなければ自由を勝ち取ることは出来ない

壁の中の安寧は偽の自由である、とエレンは叫ぶ


戦争という時間の演出

『パト2』で柘植は、ウォール・マリアに穴を開ける

巨人に屠られれば、「生きている実感」も得られよう


壁の外も内も同じだ

下人は羅生門の楼上でそう悟る

生きるために他人を押しのけることは間違っている

それを選択する以外に生きられないが、その選択の重みを決して忘れずに引き受ける覚悟と強さがなければ、無自覚に他人を犠牲にする豚になってしまう

それなら死んだほうがましだ


壁の中に留まることを考える

終らない日常を送りながら、自分の影を失って、偽の自由に安寧する中で記憶も失くしてしまう

それはたしかに間違っているけれど、しかし、そのぼんやりとした日常に対する責任のようなものも、他方にあるような気がする

『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で僕は考える


監視管理体制に外部はあるか